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新聞配達の思い出 [超個人的感想]

私はもともと朝型である。かつては新聞配達をしていたものである。

そもそも、コンビニがない地域で生活していたので、そのようなものが当時なかったし(今はある)、ファストフード店も少なかったので、高校生にまでそのような仕事が来ることはなかったのかもしれない。

高校時代過ごした地域は、非常に寒い地域だったので、朝の新聞配達で寒いときには氷点下20度を下回っていた。氷点下30度近いときもあった。近くに川があったが、川の気温のほうが暖かいので川霧が立っていた。

大学生の時にも新聞奨学生という意味ではなく、ただの配達員として、新聞配達をし始め、毎朝5時から配達していた。何度かやめようかと思い、販売所に言いに行ったが、「頼むからやめないでほしい」と慰留され、結果、給与が何回かアップした。時給は冬になれば1500円くらいになっていたかもしれない。体力には定評があったので、走ってしまえばすぐ終わったものだった。

高校の教員をしている関係から、時々、「新聞奨学生になりませんか」という案内が来るが、それに食いついてくるような生徒は少ない。でも、1人だけ、ミュージシャンになるために上京したいということで奨学生になると言って、反対する親を説得した卒業生がいた。いい根性だった。卒業式の日に、1曲弾いてもらったことがあるが、みんなの心に残る音楽を演奏してくれた。その生徒でも、苦労しているという話を人づてに聞く。そういう人生もあるものだな、と、ときどき思う。

こういう生き方をしているので結構新聞奨学生であった友人は多いが、集金業務がかなり厳しいんだな。それがあるかないかで、仕事の環境が全く違う。新聞奨学生を志す高校生は、集金業務の有無についてはよく調べておいたほうがいい。


そんなこんなで新聞配達をしていたが、今となっては新聞というメディアもかなり危ういメディアになった。「新聞を配達する」という文化もなくなっていくのかもしれない。

もしも、新聞配達という仕事が、自分が定年になってまだあったら、もう1回やってみたい気もする。数年間やってきたことなので、ときどき夢に出てくる。でも、年をとっているのが配達中に亡くなったら、販売所の人も嫌がるか・・・朝の急激な運動は危ない。

今の高校生で新聞配達をしている生徒は、少なくとも私の学校では1桁、それも5人以下である。ひょっとするといないかもしれない。今では仕事がないから、いいアルバイトとして他の人がやっているのかもしれない。時給はコンビニのアルバイトよりもずいぶん高いはずである。
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shira

 私は朝がまったく弱いので、朝が強い人は無条件でスーパーマンに見えます。
 でも集金業務の話は初耳。生徒に相談されたら話そうと思います。
 新聞の将来は?まあ中央紙は衰退するでしょうね。というか、すでに全国の都道府県の大半は地方紙がシェア1位ですから。
by shira (2011-09-10 00:02) 

ラン

新聞も、「配達する」から「配信する」が主になっていくのでしょうか。

by ラン (2011-09-10 01:49) 

bashy0322

>shiraさん
 それならば、私はスーパーマンですね。お年寄りのように、明るくなると早起きなってしまっていますが・・・。
 新聞はこれから厳しそうですね。マイナーな話をきちんと取り上げてくれるようなメディアがあってほしいと思っていますが・・・。

>ランさん
 配信するになった段階で、新聞というマーケットの仕組みが根本的に危うくなっていくでしょうが、配信は時間の問題といえるかもしれないですね。問題は最初にどこがそれをしていくのかということのなるのかな・・・。
by bashy0322 (2011-09-10 07:03) 

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