新課程版チャート式がリリース(2) [参考書・問題集情報]
学校でのチャート式の扱い方というのは各学校でどのようになっているのだろうか。
教科書傍用問題集(4STEPやクリアー数学など)とチャート式の学校でのもたせ方は、傍用問題集のみというのが多いようだ。どちらも持たせるとお金が高いと言うことと、人によって力の差があるということの中でその人その人にあったものを持たせると言うことでそのような考え方がある。
チャート式のみ持たせるという考え方は滅多にないようで、大阪の私学あたりではそういう学校もあるようだが、それのみで傍用問題集を持たせないということはあまりないらしい。
もしも、教科書傍用問題集とチャート式をどちらも持たせるとすれば、両立させるのは分量的にかなり困難なのではないか?繰り返し演習して身につけさせるという考え方からすると、2種類をさせるのは受験生にとってはかなりの負担である。授業が速いのであればなおさらのこと。長期休みにチャート式を宿題に出すのは良いかもしれないが、「身につける」という観点からするとそのときも傍用問題集の方が良いかもしれないなと思う。傍用問題集を一度やって身に付くほど甘くないだろう。
かつては参考書というのはわからないことを辞書的に引くという意味合いが強かった気がするが、チャート式は、そういうくくりを越えて、取り組むようになってきた感がある。ネットのアドバイス系のサイトにも「青チャートをやれ」という話は多い。授業中チャートの問題を扱う余裕がないという現場の教員の声を反映してか、自学自習しやすくなっているのも大きい要因だろう。独学でもある程度使いやすい。
であるならば、授業と並行して行うものは、傍用問題集またはチャート式として、「どちらか一方を極めるように」という言い方が良いかもしれない。また、青チャートだと基本問題が少なく、基本的な計算などを身につけると言うところが欠けてしまうおそれがある。それらを意識してどう使うかになる気がする。それらを自分なりにまとめてみると、このような結論になるか・・・。
結論/
①傍用問題集を解いて、わからないところをチャートで調べる→足りないところはチャートの問題で補う
または
②チャートを極められることに専念する、ただし、簡単な問題だけ授業中の「すき間時間」(「練習問題を解け!」的な時間)を用いて傍用問題集をさらう
あたりが結局一番良いような気がする。数十年前の傍用問題集の答えに書かれている数値をめぐって、各教室の数学のエースたちがその数値を求めるための過程を休み時間の間、大いに論議するという光景は夢のまた夢である。残念ながら、これができるような高校は日本の将来を担うような人材を育成する学校くらいなものだと思う。
教科書傍用問題集(4STEPやクリアー数学など)とチャート式の学校でのもたせ方は、傍用問題集のみというのが多いようだ。どちらも持たせるとお金が高いと言うことと、人によって力の差があるということの中でその人その人にあったものを持たせると言うことでそのような考え方がある。
チャート式のみ持たせるという考え方は滅多にないようで、大阪の私学あたりではそういう学校もあるようだが、それのみで傍用問題集を持たせないということはあまりないらしい。
もしも、教科書傍用問題集とチャート式をどちらも持たせるとすれば、両立させるのは分量的にかなり困難なのではないか?繰り返し演習して身につけさせるという考え方からすると、2種類をさせるのは受験生にとってはかなりの負担である。授業が速いのであればなおさらのこと。長期休みにチャート式を宿題に出すのは良いかもしれないが、「身につける」という観点からするとそのときも傍用問題集の方が良いかもしれないなと思う。傍用問題集を一度やって身に付くほど甘くないだろう。
かつては参考書というのはわからないことを辞書的に引くという意味合いが強かった気がするが、チャート式は、そういうくくりを越えて、取り組むようになってきた感がある。ネットのアドバイス系のサイトにも「青チャートをやれ」という話は多い。授業中チャートの問題を扱う余裕がないという現場の教員の声を反映してか、自学自習しやすくなっているのも大きい要因だろう。独学でもある程度使いやすい。
であるならば、授業と並行して行うものは、傍用問題集またはチャート式として、「どちらか一方を極めるように」という言い方が良いかもしれない。また、青チャートだと基本問題が少なく、基本的な計算などを身につけると言うところが欠けてしまうおそれがある。それらを意識してどう使うかになる気がする。それらを自分なりにまとめてみると、このような結論になるか・・・。
結論/
①傍用問題集を解いて、わからないところをチャートで調べる→足りないところはチャートの問題で補う
または
②チャートを極められることに専念する、ただし、簡単な問題だけ授業中の「すき間時間」(「練習問題を解け!」的な時間)を用いて傍用問題集をさらう
あたりが結局一番良いような気がする。数十年前の傍用問題集の答えに書かれている数値をめぐって、各教室の数学のエースたちがその数値を求めるための過程を休み時間の間、大いに論議するという光景は夢のまた夢である。残念ながら、これができるような高校は日本の将来を担うような人材を育成する学校くらいなものだと思う。
傍用問題集と,チャートのような解答の分厚い問題集(参考書と呼ぶのは,意味からすると違和感があるのであえてこう書いておこう)の差がますます分からなくなりますね。
だいぶ前に,「チャートなどの例題の下の類題も解いておこう」という趣旨のことを書いたところ「現実的にはそのような余裕がないからやらなくてもよいのでは」というコメントがありました。先日書いたように「スモールステップ」となったのでは,ますます類題をやらなくてもよくなってしまう(と考える)のだろうかなあ? ならば,学校で傍用問題集も解答付きで買っている(買わされている)のにさらに分厚い問題集を買って取り組もうという意義とは何なのか? 確かに説明は傍用よりは詳しいだろうが,載っている問題の幅はそんなに違うの? などと意地悪に質問をしてみたくなる(笑)。
個人的にはbashyさんの書いておられる結論の1つ目が理想で,実はこれは昔とそれほど変わっていないことだと思いますが,問題集たちの意味合いが変化してくると,そのような方法も通用するのだろうかな。まあでも,結局はきちんと極められるかどうかなのだけどな。やっぱり地道が一番。
by 留数 (2011-09-19 11:36)
コメントありがとうございます。
わからないことを自分で調べるというのは基本中の基本ですね。それくらいの気概はほしいところ。調べ学習というのが小学校以来あるように、わからないことがあれば調べる→解決できるという力は、生きる上で欠かすことができない力ですからね。それこそがさらに将来役に立つであろう「人間力」ということになるのだと思います。
何でもかんでも聞くということでは、新しい道を切り開くことは難しいですね。
by bashy0322 (2011-09-23 06:39)