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夏休みは受験生の天王山 [受験生たちへ]

ついに天王山の時がやってきた。受験生にとっての夏である。

私が高校生の夏の話をせっかくだから思い出してみた。当時から「夏休みは受験の天王山」という言葉はあった。

英語の先生から、授業中に「書き換え問題集をやれ」と言われたので買ってみた。著者は西尾氏だったと思う。日本英語何とか協会というところが出していた本で、少しマニアックな雰囲気があった。かつてはインターネットもなかったし、情報もない。本屋さんも近くの大手の店は1つしかない。田舎だったので、有名な問題集がどのようなものかもよく知らない。だから、先生の言うことを聞くことにした。これはノルマのページを設定していたはずだ。20ページだったかな。章を区切りにしていたかもしれない。私は国公立2次試験受験組だったので、センター対策よりかは表現力の幅を広げる意味で、また、整序問題の対策にもなったことを覚えている。それから、英語の長文を読むのが好きではなかったので(国語が嫌なのと同様)これまでは体が受け付けなかった長文対策として、旺文社の薄っぺらい英語の長文問題集をやった。どちらかというと、私大の難しい大学が多かった記憶があるが、長文を速く読むことと、精読を両面からすることによって、力がついた気がする。長文を読むための抵抗がなくなった。これは確か1日長文を3つ課していたはずだ。

嫌いな国語も嫌いだから逃げずに向き合った記憶がある。現代文は田村の現代文講義をずいぶんやった。古文・漢文は、正直受験までの対応としては不十分になってしまった。その原因は、夏休み中の手を打つ遅さだったと思う。浪人したらこのへんはもっと手を打ててセンターの点数にできていたと思う。

社会や理科などどちらかと言えば覚える系に本腰を入れ始めたことを覚えている。これは確か1日2時間ずつ時間を割いた。

数学は、4STEPをやり直していた記憶があるが、重点課題ではなかった気がする。正直、この部分は今振り返ると反省点だ。この反省があるので、私はこのようなブログをやっているという部分もある。1日2時間では、国公立大学の2次対策としては明らかに不足していると思う。4時間くらいはやるべきだったかな。そこは基本的な反省事項として残っている。この部分は、浪人していたらもっと力がついた部分だった気もする。

(まあ、大学で勉強したのだからそれは良いのだが・・・。)


さて、浪人しなかったので受験生としての夏休みは一度しかなかったが、今まで「やりたくない」と深層心理の中で感じていたことと向き合う夏だったんだな、と思う。嫌だから逃げるのは簡単だが、逃げずに取り組む強さをここで発揮できたから、今の自分がいるのかもしれない。

それをやっていた場所だが、それは学校だった。今教員になっているような人間は学校を中心とした生活を送っていた。誰もいない学校に1人。ときどき2、3人(友人)。今の学校のように「責任」だの「管理」だの言われる時代でなかったので(面倒くさい時代だ)、「来るな」とも言われないので好きに勉強していた。自分に向き合う時間として集中していた。たぶん、午前8時から午後6時半くらいまではしていたと思う。帰るまでにする内容もきちんと決めてあったし、英語の長文は「何番の長文から何番の長文まで」と言うことも時間を切って決めてあった。時間を守ること、課題を守ること、できるからといって多めにやったり、少なめにしたりもしないのが基本。ペースは守る。

当たり前のことだが、暑い日もあれば寒い日もある。やる気が出ない日もあればやる気が出る日もある。頭がもう働かないところまで自分を追い詰めれば、気が遠くなる。頭は勉強の内容を拒絶するようなこともあったが、それでも走り続けた。走るしかなかったのと、走らなかったときどうなるかが不安だったのだと思う。勉強しないことへの不安は、勉強をして払拭するしかない。また、基本的に計画的にきちんとしていないと気が済まない性格。自分でも嫌になるが、まあいいやという遊びの部分が他の人と比べると極端に狭い。どの問題集をどこまで行うか、については必ず行うことを自分自身に厳しく課していた。


唯一「積極的休養」として取り入れていたのは、夜の8時から9時まで行っていた「5キロのランニング」であった。私の家は基本的に健全な「たまり場」だったので、なぜか夏休みになると、走り込みのために集まる習慣があった。元中の陸上部の友人たちと走るのは、たまらなく気持ちの良い時間だった。「疲れたらランニングをする」というのは運動が好きでない人たちにとっては滑稽かもしれないが、非常に良く機能していた。あとは、ストレス発散に片道4キロの登下校の自転車こぎが気晴らしになった。勉強とは関係がないが、秋に行われる、72キロのマラソン大会に向け、体力を上手に調整するために役に立っていた。

それから、街のど真ん中にある学校だったので、近くにNHKの地方放送局があった。そこで大好きな高校野球をみることはあった。当時は考えなかったが、あのときに甲子園で活躍していた人たちは同じ学年の人たちだった。しかし、それをみたこともそれほどは多くなかったと思う。友人にも恵まれた。ときどき学校に来る友人とは、「お互いの勉強を絶対に邪魔をしない」という暗黙のルールがきちんと守られていた。今と違って携帯電話もないので、いつ集まるかなどの打ち合わせは一切しなかった。相手が来るから来るとか、そういう話でもなかった。


確かに勉強は辛かったが、今、振り返ると、人生で一番充実した中身の濃い夏休みだったのかもしれない。人間は楽をしたい生き物であるが、楽ばかりしていては、先の道は開けない。食べたくないものも食べないといけない。嫌なことは嫌だ。でも、しなければいけないことはあるのだ。そこから目をそらしてはいけない。その強さがこれからの人生の道を開くのかもしれない。勉強をすること自体は賢くなるためのものだが、それとはまた違う、経験としての勉強という意味合いもあったのかもしれない。ここでの経験を得て、達成感とか、充実感を得ることは、たぶん人生にとって大きなプラスになっていくに違いない。そして、たぶんそれが人生で待ち受けている他の困難なことに向かっていくための基礎として本人に根ざしていく。忍耐とか、努力とか、自分と向き合う経験を通して人間としてひと回り大きくなることができる。

自分をどのくらい追い込めるかどうか。それは自分自身が決めることであり、その度合いは自分が決めることでしかない。自分に言い訳をすることもできるし、自分に妥協しないこともできる。すべては自分で設定することだ。自分で考えろ。

これまでの人生の集大成。秋以降の大きく結果に繋がる夏休みの過ごし方に期待したい。基本、私はストイックな人間なのだと思う。ただ、勤務校には他にもそういう先生がいるので少し嬉しい。結局のところ、そういう部分がどのくらいあるかで、人間の価値は決まっていくのかもしれない。
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rtfk

自分もお浪人はしないと決めていたので
この夏に賭けるという気合が入っていた記憶がありますが
実態としては・・・(汗)
でも自宅に居ると冷房や冷蔵庫やTVが誘惑するので
学校へ行って空き教室を使わせてもらってましたね。。。(^m^)

by rtfk (2012-07-23 10:19) 

shira

 受験をすれば誰もが成長するわけではないですけど、受験を自分の成長機会に換骨奪胎してしまう人というのは確実にいます。bashyさんも受験を点取りゲームではない、ご自身の成長のためのチャンスにしてしまったんですね。
by shira (2012-07-23 21:26) 

bashy0322

>rtfkさん
 今の時代、空き教室を使うためには担任がいなければならないと言うことで・・・。校内に担任が存在しなければならないというルールがあります。勤務校には。

>shiraさん
 点取りゲームだったのでしょうが、振り返ると、そうだったという感じなのでしょうかね。受験勉強は人生の縮図とはいえる。
by bashy0322 (2012-07-24 06:48) 

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