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勉強を好きでやるに越したことはないが・・・ [教科(数学)指導者として]

高体連の臨時時間割が発動した。部活動をしている3年生の多くにとっては最後の大会となる。「勉強を好きにするのも教科担当の仕事である」という先生がいる。

確かにそのことに挑戦することは大事なことであろう。しかし、それができないからといって、それがダメかと言われると、そんな簡単なものではない。残念ながら、ほとんどの生徒は、言われるから勉強をしている。趣味、ゲーム、パソコン、スマホ、読書、映画鑑賞、旅行、トレーニングなどなどなど・・・「したいことをしていい」と言われれば、圧倒的に勉強の優先順位が低くなって当たり前ではないか。

勉強をして成績上位の人たちがいる。その人たちの中には、当然、勉強を好きで行っている人たちも少なからずいる。でも、そうでないからといって、教科担当を責めるというのはどうかしている。そういう物事がわかっていないという人たちの無責任な言葉は、主要教科の指導者の気持ちを逆なでするものがある。


確かに、頭が良くなることが知的好奇心に触れるという人たちは世の中に存在はしている。しかし、それはごく一部である。教員もそのようなくくりに入る人たちは多いだろう。でも、それは世の中の主流ではない。強制しなければ勉強しない場合が多数である。受験生にとっても、好きで勉強をしているというくくりで語られるのはけっこう厳しいのではないか?
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留数

 有名な三省堂の新明解国語辞典には「勉強」の意味に入る前に

  そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる意

と述べられています。「強いる」という漢字が含まれているのですから,まあもっともなところです。

 では,もし仮にマンガが高校生の必修科目になったらどうなるか? 「マンガⅠ」なる科目がセンターで課されることになり、書店の参考書売り場には「センターに出る名台詞2000」みたいな本が並ぶことになるでしょう。
 これは,なんであっても勉強という枠に当てはめると多少の苦痛を伴うことになるという喩え(元ネタはマンガではないですが)ですが,そういうのを乗り越える経験というのは,人生の通過儀礼のようなものでしょう。特に,これからの厳しい時代,二極化の上に行きたいのであれば。
by 留数 (2014-05-22 23:34) 

shira

 勉強も仕事も英語だとworkです。workってのはどうしても労力がかかります。これはどうしようもない。
 教科が好きになってくれると、その労力を払う時に感じる苦痛が減ってくれるというメリットは確かにあります。だから全教科が好きになれりゃ最高です。でも、苦痛であってもやらなければならないworkもあるわけで。仮に学校のworkがみんな好きになれたとしても、職業でのworkがすべて好きになれるとも限らないし。
 結局、workのための労力に伴う苦痛を、いかにして感じないようにするか。好きになる・小さな前進を喜ぶ・将来役立つからと言い聞かせる・自分のためなのだと納得する・受験までの辛抱だと考える等々、全部狙いは同じでしょう。
 ただし。どんな方法で苦痛を軽減したとしても、必要な労力が減るわけじゃありません。勉強する以外に学力を上げる方法はないですから。
by shira (2014-05-23 21:37) 

bashy0322

返事が遅くなってすみません。部活の大会があったものですから。

>留数さん
教育は価値観の強制ですが、あまり苦にならないように工夫したとしても、限界はありますね。でも、それに向き合うということから得られることは大きな人生訓といえるかもしれませんね。

>shiraさん
仕事も、好きなことばかりではなく、嫌なことはたくさんありますね。自分で学ぶということは、自分からしかできない、言われてするのは頭の中に入っていかないですしね。結局は苦難に向き合う姿勢をどう整えてやるかなのだな、と感じました。
by bashy0322 (2014-05-24 08:16) 

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