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モチベーションが上がるような魔法はないものか [超個人的感想]

生徒に学習する動機付けを与えるのが難しいというのは、もはや、日本のどこの学校でも同しであろう。

あの手この手を使って、子供たちにモチベーションを与えようとしても、なかなか乗ってはこない。豊かな時代の情報が豊富に得られる生徒にとって、何が必要なのか、何を求めているのか、問われている。

それは、強制なのか、自然発生的に出てくるものなのか、何かの極限状態から生まれるものなのか、人それぞれだとは思うが、それを教育プログラムに組み込むことのなんと難しいことか。

ただ「勉強をやれ」といわれても、その意味も分からなければ、それがどのような意味を持ってくるのかも分からなければ勉強をやらない・・・という結論に到達する生徒たち。前時代的な生き方をしている私からすると贅沢な悩みだと思うので、いささかチャンネルが合わないが、そうはいっても、教育の現場にいるものとして考えないわけにもいかないので、自分なりに思いをめぐらせて考えているつもりではある。

そんな中ではあるが、豊かな時代に生きるものたちに感じてほしいもののひとつに「本物を知る」ということがある。校内である芸術を鑑賞をしたときに、クオリティーが高いものを目の当たりにしたときには、本能で感じるのか、きちんとした態度になるという経験をしたことが幾度かある。感じる中でただ事ではないものを感じたときには、人間は背筋をぴんとして内容に没頭するものなのだな、と感じた。

ただ、残念ながら、逆の言い方をすると、クオリティーがそれほどでもなければ、受け入れられないという面もある。すべてに高いクオリティーを発揮すると、それはそれでそれに慣れてしまうことで、さらに高いクオリティーを求めるものなのだろうから、結局のところ、きりがないものなのかもしれない。人間というのは、適度な環境が必要なのかもしれないな、というところでもある。

適度な使役、適度なクオリティー、適度な教養、適度な量・・・。さじ加減は本当に難しい。

一方で、モチベーションを上げることだけに終始し、何も得られるものがない授業を展開する教員がいるのも考えものだ。結局何も得ることができないのならば、何の意味もない。そのことを勘違いしている教員が存在するというのも、ある種、いまどきなのだろうな、と思う。賢い人間は、たぶん、そのあたりも含めて見抜いてしまうのだろうけれども。
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