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教育とシステム [超個人的感想]

体調がすぐれない中ではあるが、今年度は某大学の科目履修生として学んでいる。その中でシステムの話を学んでいる。

教育の中でもさまざまな学問がある。中学・高校のように専門性がある科目であれば、その科目の専門を学ぶことはもちろんのこと、特別活動や教育を取り巻く様々なことについて学ぶ。

その中で教育についてのシステムについて学んだことがあったことを思い出した。大学で学んだときにはさっぱりでも、社会人になるとピンと来るものは多いものである。ある種の「学び直し」状態である。科目履修生になったのは情報の免許を取得するためであるが、システムというのは、情報に限ったものではなく、さまざまな分野で活用することを生徒の大学受験のための面接指導や小論文指導を通して学ぶ機会もあった。

さて、学校を運営するために自然と使われているシステムというのは様々あるのだが、今年度の私は時間割と学校を動かすための公務運営のためのソフトを使っている。それを使って学校が円滑に回るように運営することも1つのシステムの一翼を担っているということになるのだろう。時間割を組めば、担当の先生が時間になればそのクラスに行き、そのクラスの場所には生徒が所定の場所に座っており、そして所定の時間の間先生の話に生徒が耳を傾け、生徒が学んでいる。私が感じているのは、当たり前の話のように思えるが、かなり奇跡的なことのようにも思ったりもする。

ある約束に基づいて、その制度が円滑に動くために作り上げる体系というのは、学校社会では変更されることもなく、継続性が求められるものである。学校が旧態依然であるということを言われるが、まさにその通りで、数学の教員が教える内容ときたら、時代が変わっても、ほとんど変わることが無い。他の科目は時代が変われば、社会や理論が変わり、変わり、教える内容も変わることがあるのだが、こと数学に関しては、クリエイティブなことが好きであれば、何年も同じことの繰り返しといわれても仕方がない仕事である。(そういう繰り返しの仕事が嫌いな人にとっては向かない仕事でもあると感じている。)

どうように、学校という場所は、朝の8時半くらいに学校にき、何時間か座学で授業を受け、午後4時ころにキ帰路に着くという意味では、動きようもないシステムの中で動いている。この時間には、この席に座って、先生の授業を受けなけばならないというのもシステムである。その延長として、日本人はいつどこに何時何分にどこに行くということがきちんと守られて当たり前ということが徹底されているという意味においては、日本の学校のシステムの強固さには凄さを感じずにはいられない。日本の多くのシステムが整然としている端的な理由は、この学校のシステムの強固さに他ならないと思う。

この時代が変わってもあまり変わることが無いシステムの中で、前提条件として変えてはいけないものと、時代の要請で変わるかもしれないことがあるが、後者で今もっとも変わろうとしているのは、ICTにかかわる事柄である。そして、まもなく授業が変わるかもしれないということの中で準備が進められようとしているのかどうか、といったところだろう。システムの深いところが変わるかもしれないというところまで行くのかどうかはわからないが、結構な変化になるのかもしれない。大学入試の変化、そして学校の在り方の変化。教育が時代の要請によってこれまで以上に大きな変化がもたらされるかもしれないという意味においては、少しずつその根底的なところが変わっていくのかな、と感じる時代に差し掛かりある気がする。

社会の要請の持っても基本的なところの根っこは少子化なのだろうけれども・・・。
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