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時間割との戦いはまだまだ続く [勤務校関連]

時間割ソフトを乗り換えて半年が過ぎた。気がつけば、時間割ソフトを変えようといったのは私なので責任をとらなければならない。

ということで、年度初めにいじっただけの時間割ソフトをさらに真面目に突き詰めることにした。あまり突き詰めると「私にしかできない仕事」が生まれてしまうので、それは学校を退職するまでこの仕事をしなければならないということに繋がるのでそういう仕事はしないことにしている。そこは『いたしません』の世界である。

ただ、他方で、時間割ソフトをもはや使えないレベルの学校が存在するという話も知り合いの中から聞こえてくる。とりあえず、私は与えられた条件の中で時間割をねじ込んだ。恐らくは、そこの学校の実情は外にいるから聞きようがないところではあるが、聞いた情報を総合すると、条件があまりにも厳しいということになるはずである。

私が時間割を組めたことになっている理由は、ひと言で「生徒の時間割サービスを犠牲にした」ことに尽きる。例えば、同じ科目が1日に時間行われないようにする。これはあっさりと崩れた。そもそも、私が担当している数学は1日1時間授業があるのが通常だ。出張(私は現在、時間割上で何かがあったら困るので外に行くことが許されていない)があれば、交換で授業を成立させるような文化が定着している。いうまでもないことだが、1日1時間一クラスに授業があるクラスがあれば、いない分の授業はいる日に振り替えになるので、1日2時間以上になる。このようなことがあれば、少しマヒしてくると、同一クラスの1日2時間が当たり前になる。例えばこのようなことを諦めることによって、時間割の条件が緩み、その結果として時間割が組めている状態になるということに繋がっていくはずである。ある種の「妥協点」を探らなければならない。

しかし、教員とクラスの条件で妥協がなければ、極限まで突き詰めることになる。この突き詰めの作業は相当なレベルに達しなければ難しいと思われる。結果、「手で組む方が良い」という話が出てくるのであろう。仮にその条件が満たされたとして、満たされた条件の下で授業が展開されるとしても、今度は「下手に時間割を動かせない」という事態が発生することに繋がる。何ともやっかいな話である。

たかだか時間割を組んで2年目の私にとってまだだ見えていないことは多いが、要するに、グランドデザインを決めて、細かい優先順位を決めて、その優先順位の中で作業を行っていく。数学でいえば、『条件の強いものからやっつける』ということになる。数学屋がこの仕事をやることが多いのはこの手のことが多いからであろう。しかし、さらに文系的な要素として、「世の中のニーズをいかにとらえるか」ということも見逃せない。時間割のコマ上にあるのは、人間関係の集合体である。優先順位が世の中の価値観とずれていると、学校全体が悲惨な目に遭うし、増しては自分本位であれば、ひんしゅくを買うだけになっていく。知り合いのベテランの先生が今と別の学校で仕事をしていたときに、「時間割の条件のことでけんかになって口をきかなくなった人が何人かいる」という話を良くしているが、まさしくそのようなことが日常茶飯事になりそうなほど、心優しい人は寛大に、1つでも仕事が増えると断る、了見の狭い人の存在など、盤面の中で毎週のようにいろいろな人間模様も展開されている。

この時間割を組むという行為で得られたスキルは、単に時間割を組むという行為だけでなく、学校の経済公立、持ち単位、もっと踏み込むと人間関係、生き方、その人の性格などが明らかになる、学校の細かなしくみを理解するという意味では、いい学びができると思う。そういう意味では、特に校長・教頭などの管理職になる登竜門として、時間割担当から担うのは、非常に意義深いのではないだろうか。
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