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人生損していると思う瞬間 [超個人的感想]

勤務先と家との往復の日々が続く。また18時間労働の勢いが出てきている。

その中でも、用事があって、繁華街に行くと、ふと人生損している?と思うときがある。何だよ、人生を豊かにできるために、世の中にはいろいろなことがあるじゃないかと思うのである。

なんだかんだ言っても、自分以外の人は、そういう世界のことも知りながら人生を楽しんでいるに違いない。

時代は仕事ばかりの人生を推奨していない。そう、自分なりの楽しみを持たなければ、人生はもったいないぞ。

修学旅行保護者説明会の際、来てくれた旅行会社の方に「時代は変わってきているので、少し余裕を持っていきないとダメですよ」と修学旅行担当の旅行会社の方に説教をされたのであった。まさにお説教の通り。

しかし、私の周りには、実にそれとはかけ離れた生活を送っている人がたまたまなのだろうが多く、健康的な生活をしていない。夏休み中に山登りをしてリフレッシュしたからと言い聞かせられる寝たがある私はまだ幸せな方で、マシな方かもしれない。
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取材 [超個人的感想]

今年は取材の機会が増えている。

といっても、学校の取り組みの一環としての取材である。自分で調べたいことを取材するということもしてみたい気持ちもあるが、なかなかそういうところまで行く状況にはいかない。

一つは、ある冊子づくりのための取材である。これは、映像や音声という類のものではないので、修正がきくものである。こちらでの取材が足りない場合には、比較的やり直しがききやすい。

もう一つは、動画や音声の類である。リアリティーが求められるものである。これはとるのに失敗すると取り返しがつきにくいものである。こちらの難易度の方がはるかに高い。加えて、肖像権や、著作権などの類の処理についてもかなり幅広いものとなってくる。したがって、丁寧な準備が求められるものである。内容の整理はもちろんのこと、インタビューの整理、話の聞き方などなどなど、加えて、機材の使い方の練習、機材の管理、電池のあるなしの点検など。

少しずつ作業を進めながら、一つのものを作り上げることになるのだが、それを丁寧に整理して言いたいことをいうということはかなり高度な作業である。

何より相手がいることである。相手の思いにも応えなければならない。ここが一番のモチベーションになる。こちらが安易に投げ出すことはできない。なぜなら相手がいることだから。それだけに題材を考えるのは慎重さが求められることである。

題材を考えるのには常にアンテナを張らなければならない。一番難しいのは、題材を考えることである。大半の人たちは、題材を考えることができない。生徒が一番苦手とするのはここにあるのを痛感している。それもまた勉強である。
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ひっそりと [超個人的感想]

またひとり、知人がこの世を去った。

ひょんな話から判明したことで、衝撃を受けた。共通する事柄でよきライバルでもあり、よき友でもあったと勝手に思っている。

歳はずいぶん離れていても、共通するものがあり、それに向かって切磋琢磨するというのが好きなのだろうと感じている。と同時に、老いも感じているわけで、頭は元気でも、体がついていかないという意味において最大のパフォーマンスを示せないことにもどかしさを感じている。

生きている限り、どうしようもない現実に直面している。生きるということを考えたときには、アナログ的なものも大切なのだなあと感じる。それまではどちらかというとデジタルな生き方がメインだった気もする。生徒も見ているとデジタル的なものがメインな人が多い。しかし、そこからアナログな生き方に変化していくようになっていくものなのかもしれない。

人が人として生きていくということはどういうことなのか、考えさせられる出来事が最近多い。

亡くなった先生には感謝の言葉を言いたい。でも直接言うことはできない。言えるときに言わないと、そういうチャンスを逃してしまう、ということか。
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スーパー記憶術 [教科(数学)指導者として]

答えをまるごと暗記する。

私が中学・高校時代によく読んでいた雑誌・週刊少年ジャンプには、ときどき広告で脳みそから稲光が走っていて記憶する方法について書かれていた通信販売のような広告が出ていたことをなんとなく覚えている。そこに書かれていたのは確か「スーパー記憶術」という言葉だったと思う。

その言葉を使って、生徒に「スーパー記憶術」禁止例を出している。

同僚に面白い話をしてくれた先生がいる。

ある定期テストで「この問題を出すぞ」と言って予告通り、問題をそっくりそのまま出すと言うことを実行しようとしたらしい。そもそも、その是非はともかくとして、その先生は誤って、よりによって問題文を書くのを忘れたらしい。それをテストの巡回で生徒から指摘があって気がついたようなのだが、恐ろしいことに、特に質問をしなかった生徒たちは、その問題を正確に解いていた?のだそうだ。そんなに学力層が低くないはずの生徒がそのようなことをしたという話に少なからず衝撃を受けた。

なかなか興味深いエピソードである。

最近の私のテストはこの中から同じ問題を出すという心優しい設定の試験問題を出すことがあるのだが、記憶する問題が違っていて、違う問題の解答を答案に書く生徒もいる。問題にそういった設定がないのに、なぜその解答になる?という衝撃が走る。ただ、一方で、追い込まれた生徒があがく過程の中でこういったことは起こりえるだろうな、と感じてはいる。

あるいは、数学は過程が大切と言うことで過程を書けというのだが、答えを一発書いておしまいという生徒も少なからずいる。

後者の解答を私は「スーパー記憶術による解答」と定義した。そして私はその解答は「覚えていると言うことに敬意を表して1点だけ与える」と決めた。それでも点数がほしい生徒は答えだけを覚えてくる。賛美はあるかもしれないが、まあそこも差別化するために点数はあげましょう。

しかし、さらに超越した生徒はいるもので、無反応というゾーンの生徒の存在もある。事情はさまざまであろう。他教科の勉強が優先で手が回らなかった、アルバイトで怒られてやる気がなくなった、告白に失敗したのかもしれない。

一般の人たちには、学校の生徒の学力がどのようになっているのかはわかりにくいのかもしれないとは思いつつ、このようなケースは少ないと思われるのかもしれないと思われるかもしれないが、この層は着実に増えているのだとは思う。理由は簡単で、少子化により競争がなくなっているからである。何も努力しなくても世の中は戦力を必要としている。間違いなくそういう人たちも必要とされている。そういう中で勉強に価値を見いださせて、スマホでゲームをするよりも価値があることだと思わせて行動させるようにするのは至難の業だと思う。

まあ、久しぶりにそういった人たちの担当をする中で生徒たちと楽しく授業をやっている気がする。そこに至るのには少し時間がかかりましたけど。
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公式を試験に出してみた結果 [教科(数学)指導者として]

試験に公式が掲載されているような問題を試しに出してみた。

とは言っても、単に公式が掲載されている問題を出せば、馬鹿にしているのか?ということになるかもしれないので、公式を選択肢の中のどれかという問いかけにして、公式を手元に残させる作戦とし、公式を使える状況を作って問題を解かせるという作問にしてみた。

こういった出題傾向にすることついては、あらかじめ告知した。

なぜこういった試験問題にしたかと言えば、自分自身が最近取得した情報の教員免許を取るための勉強の際に強く感じたことであった。

「もしも、人間の機能にスキャナ機能があって、これらを画像としてコピーできれば。記憶しなくてもどこに何があるのかを記憶していけば、活用できれば困らないだろうに・・・」

当然のことながら、教員免許を取るためには内容を覚えたわけだが、内容を覚えるのに意味があるのかないのか?ということを少し考えてみたという着想によるものであった。数学の話題を念仏か何かと思っているとしたら、残念ながら言葉は意味をなさず単なる記号でしかなく、「スーパー記憶術」によって解答を書くだけなのかもしれない。

仕方がない。私は数学教員として一種の誇りのようなものはあるつもりだが、生徒にとっては何の関わりもないのだとしたら、そこは少し妥協するかと言うことで「公式を使う」と言うことに主眼を置くことにした。職場でも、そのことを話題にして、どうなるのかと言うことも少し同僚に注目してもらうことにした。

結果は人それぞれというところはあるが、公式事態をテストに出すという行為が意味をなした生徒がそれなりにしたものの、残念ながら、公式の判別がつかなかった生徒もいた。間違えた公式を用いて問題を解くのだから、間違えた公式を使って問題を解いたとしたら・・・それは残念な結果になるしかないだろう。それはどちらにしても残念な結果になる訳だから、あまり気にしないことにした。

なお、この問題構成にするのに参考にした某業者試験の問題の問題構成がこれであった。
(1)で公式を選ばせ
(2)で公式を使わせ
(3)で公式を応用させる
という流れである。この問題の流れを一通り研究しておいたので私の今回の試験の着想がわいたわけだが、よくできている試験だな、と改めて思った。業者も考え抜いて問題を作ったのだろうが、なるほど、こうやって生徒を診断するというのも一つの方法なのだなと思う。

テストの結果?今までよりは良かった。が、内容が難しい分野だからなのか、私が想定しているほど点数は伸びなかった。
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7の段 [超個人的感想]

消費増税10%は印象がまた違ってくる。

計算しやすくなると言うことはあるかもしれないが、言い方を変えると、いよいよ大台に乗ったなという印象になる。慌ててものを購入すると言うことをしているが、長い目で見たら、そんなことはあまり役には立ちそうにない。知っていても、とりあえず、という気持ちだ。

働きながらこの手のことを丁寧に考えるのはなかなか難しいことなので困るのだが、○○ペイのやり方は少し知っておかなければならないのかな、と思っている。変化がある社会に対応するのが少しずつおっくうになるのが嫌だなと思う自分がいる。

数学屋として思うのは、7%だったら計算が苦手な人たちはさぞかし困ったに違いない。九九の段は、7が一番覚えにくいようだ。多分、その辺も織り込んで7%にはしなかったのかな、と勝手に思っている。せっかくだから言うと、7×4が九九の苦手な計算第1位だと思っている。4×7か7×4を聞けば九九の段がわかっているかどうかチェックできる。
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捨てられない! [勤務校関連]

視聴覚機器の管理係である私。

膨大なものを管理していたことが改めてわかった。

世の中どれだけコードあるんだよ・・・。捨てようと決心したのがとりあえずこれくらい。画面に乗せられないコードが100倍くらいあるのだ。

赤白黄の線は、ずっととってあったが、もうお役御免なのかな。視聴覚機器に付属しているコードで使っていないものもたくさんあるがいまだ新品のものも。本体は捨ててしまっても、線だけが存在するということなどあるようだ。

USBコードも、次々規格が新しくなるものもあるが、いまだ健在なものもあるので下手に捨てることが難しい。
IMG_9818a.jpg


ちょっとやろうと思ってとりあえず並べてみたが、途方に暮れるような作業であることが判明。一気にやる気をなくしてきたが、思い切って捨ててしまわなければならないものが多い。当時購入した価格を考えるとなかなか踏ん切りがつかない。捨てなければならないと思う一方で受け入れられない当人がいる。困った困った。
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あと何年か [超個人的感想]

誕生日を迎えた。

あと何年続くかわからない毎日を今日も過ごしている。朝6時出勤に対抗する人が珍しく現れて、1人だけの仕事ではなくなっていた。

今の時代、仕事をしていることが幸せだということでもあるのかもしれない。と思いながら、今日も仕事と向き合う。いつ過去の毎日が終わるが来るのかなと思いながら、実感できない日々が続く。

まあ、やめようと思えばいつでも可能なのかもしれないけど。それでもこの毎日を続けていく。

いつの間にか、ずいぶん日が短くなってきた。日の出、日の入りともに。

さて、試験問題作成頑張ろうっと。
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テスト問題と取り組み方 [超個人的感想]

テスト問題を作らなければならない時期になった。

今年は久しぶりにあまり勉強をする気持ちがない生徒が多いクラスを担当しているので、その場合にはどのような対応をするべきかと研究を重ねている。

勉強をしなくても困ることがあまりない世界というのもあるのかもしれない。今の社会は競争も少ないし、人は足りなくて慢性的に困っている。大事に育てられているし、豊かな生活を送っているのかもしれない。一方で、アルバイトをしなければ生活は成り立たないこともありえる。部活動はしたくてもできないこともあるだろう。あくまでも個別なので傾向として、ということでしかないのかもしれない。どこの学校でも聞く話なので特殊な事情というわけでもない。

そんな感じなので、勉強をさせるということ自体はなかなか大変なのだということを痛感している。そこで大事なのは、「真面目に生きられるかどうか」に尽きるのかもしれない。できないならできないなりに取り組めるかどうか。それは高いレベルでもそうだろうし、そうでないレベルでもできないことかあるわけで、そこに向けてどのように取り組もうとするかと姿勢が大切だろうと思った。

ただ、それを一体どのようにはかるかと言うことが難しい。真面目にやっているというのは点数化することができるのかどうなのか。現場にとっての永遠の課題のように思える。
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