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SNS上の悪口の類い

今の学校ではもめ事が起こる大半の理由にSNSが関わっているとはよく言われることである。

問題行動があったときに証拠の「ある・なし」がとれないと、それ以上の詰めは難しい。結果、被害者が泣き寝入りすることも少なくないのではないか。私の場合には、きちんとした証拠を押さえるという意味においてマメにすることにしているので、その手の詰め将棋の際には、物的証拠を何らかの形で押さえることにしている。

学校の場合には、「教育的配慮」という限界があるように思うが、社会の場合には、その制限が外れるので問題人展の詰め将棋はもう少し具体性を持って行うことができるに違いない。

今回、亡くなった方が出るような事態に発展した内容があると大きく報道された。ログを解析して関係者をすべて社会的な評価をもらっていいと思う。時間はかかるだろうが、それぐらいやってもらわないと、教育に横たわっている根深い問題を解決するのは難しい。

というか、そういうシステムを構築できたら、それ自体、世の中の発展に大きく寄与するのではないか?少なくとも、学校では画期的なことだと賛辞をもらえることだろう。ノーベル賞に値するくらいの開発なのではないか?

「便所の落書きはしょせん便所の落書きだからスルー」と言うことができる人とできない人がいる。みんながスルーできるわけではないことは、この時代、学校教員であれば誰もが痛感している件の1つだと思う。
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自粛警察の恐怖 [超個人的感想]

赤の他人から「気をつけるように」と直接連絡が来るとか・・・。

聞いた話ではあるが、嘘ではない話だと思う。

フェイスブックで、自粛を促されていることをしているという投稿をした人がいた。その投稿に対して、わざわざメッセンジャーで「自粛しないといけませんよ」という連絡が来たというのである。


これはすごい。赤の他人から?

知らない人と繋がっているとは、そういうこともあるのか・・・。まあ自粛しない方もしない方だし、それをわざわざ投稿する方も投稿する方だが、まさか直接連絡をするとは・・・。

自粛警察とはまさにこのことだ、と思った。
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旺文社ラジオ講座の思い出 [超個人的感想]

オンライン講座をするにあたり、旺文社のラジオ講座を思い出した。

顔出ししないと言うことは、ラジオ講座を受けることに似ていると思ったからである。

生徒が「データを小さくしてもらいたい」という話をしたので、その方法論を考えたところで、動画でもいいので画像を動かさないというのは有効な手段である。動画は圧縮の関係上、画像を動かさないとデータは小さくなる。

あとできるのはセリフ側のデータの変更である。尺が長くなると困るので、話すテンポが速くなる。データを小さくすることを目指せば仕方かないことである。

動画撮影の際にそんなことを考えると、いっそのこと「ラジオでやればいい」という結論に達した。何人かの先生方がそれに気がついたようで、その話で盛り上がる。

そもそも、旺文社のラジオ講座なるものがあったではないか。朝の5時から1時間、予備校の先生方がラジオ講座のテキストを用いて解説をしてくれるというありがたい番組であった。これのお世話になった人はそれなりの年を重ねた人だけになってしまったが。あの先生は今どうしているだろう、みたいなことを考えながら、オンライン動画を作る参考にしている自分がいた。受験戦争ど真ん中、ラジオが聴ける場所であればどこでも予備校の先生の話が聞けるいいチャンス。考えてみればすごいことだなあと思う。

データ量で言えば、ラジオ番組だと、動画の数十分の1にしかならない。使用する機材も激減する。けっこう便利だと思う。個人的にはラジオが好きなので、おすすめのメディア。この機会にラジオ文化が少し見直されてもいいと思う。
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オンラインてんやわんや

オンライン授業開始。

そのためにはいろいろなハードルを越えなければならなかった。当初の機材は全くなし。先生方の私物を使うというのが前提に近いものがあった。

アナログの先生方はやりたくないオーラを出していたが、いつの間にかこの授業を行うのが業務命令になった。あら?

どこの職場でもある話だろうが、パソコンがあればなんとかなるんだろ?よくわからないけど?みたいな話のように聞こえた。就職する場合、雇用する側は若い人にパソコンは使えるものと思っているという話はまだ聞いている話なのだろう。スマホが出る前は荘だったが、今はスマホは使えてもパソコンは使えないことが多いのではないかな。

そんな感じなのだろう。

そんなこんなで偉そうなことは書いたが、要するに、私が動画を見ながら作った動画作成のマニュアルによって職場は難局を乗り切った?ようだった。

しかし、肝心要の私の方は、作るノウハウを伝えたもののまだ作れていないという滑稽な展開になってしまった。困ったものだ。本来はそういったものは私が作るのが仕事ではない。他の人がやる仕事なのだが、他の人はその仕事をやらないようにやらないようにとうまくやっている。職場の人たちもそれを知っているのだろうが、当人には何も言わなかった。

この微妙なパワーバランスの中で、今回は私が「しゃしった」形で解決がなされたのかもしれない。
そしてその人間が仕事の最後を飾る。いつものパターンに入った。
これも自分の責任だ。さて、自分は別のやり方で動画を作ろうと思う。

まぁでも、こういったことをやったという行為が学校の財産になるのは間違いないとは思う。
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要請 [超個人的感想]

校内で生徒指導をする。いうことを聞かない生徒は当然いる。強制力を働かせざるを得ない。

一部の進学校でない限り、こういった話で出てくるのは「強制力」である。これについては賛否両論あるだろうが、致し方なく強制力を働かせるというのは多くの学校では行われるに違いない。

そんな中、この騒ぎの中で気になっているのが全国いくつかのパチンコ屋が「自粛要請のいうことを聞かない」というニュースだ。

正直、生活までかかっている業種の人がそんな話を聞くわけがないじゃん。生活がかかっているわけでもない校則を破る生徒と比較して思うのは、この「強制力」を知るものならではかもしれない。強制力を使われる側も、この対応に関してある種の反発もあるんだろうなと察する。

「要請」で言うことを聞けば誰も苦労はしない。残念ながらそれが現実だと思う。周りに苦情を出させてやらないような形へとあぶり出す。決める側は「自分たちは要請しただけだ」「強制はしていない」といいたいのか?「強制していないので休業中のお金は出しません」ということあたりが理由なのだろうか。自ら行ったことなので経済的な支援をするわけではありませんとも。

まあそうなんだろうね・・・。

最近のニュースを聞くのに一番違和感があるのはこのニュースである。周りに批判させて、自主的に仕事をやらないようにするのような手法。自分たちは手を下さないというのが透けて見える。それでも言うことを聞かなければ指導のランクを上げる。まるで学校の特別指導みたい。聞いていて気分が良いものではない。

そのやり方はどうなの?って思ってしまう。

だったら、最初から要請ではなく指示すればいいじゃん。生徒ならこう考えるだろうな、と思う。
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何ともしようがない連休が終わる [超個人的感想]

これほど何もしなかった連休は初めてだったと思う。

普段の連休は、部活動の指導か、帰省か、外に出かけて何かすることが多かったが、すべて封じられた。職場ではしつこく協力要請という出かけるなのような話のため、こっそり行こうかとも思ったが出かけず。何かあったら「非国民」扱いされることになるだろうから。

ということで、お金を使うことも含めてほとんど何もなかった。

強いていえば、ひたすらテレビを見て、ネットをやって、読書した。

すごいな、コロナウイルス。今年は、歴史に残る年だ。
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なぜか近くの土地を持っていた [超個人的感想]

親戚は私が現在住んでいる土地に縁もゆかりもなかったはずなのだが、なぜか、土地を持っていた。

ずいぶん前の話になるが、高度経済成長のときに、土地ブローカーのような人が売りに来て、この土地は必ず売れるから今の打ち勝っておくといいと言われて、ひょいひょいと購入した土地があるらしい、という話を10年ほど前に聞いた。現在もその土地の所有権は持っているらしく、聞けば聞くほどだまされただけのその土地の場所をせっかくだから聞いてみようと思った。

実家に帰ろうとも思ったがコロナ騒ぎのこのご時世だから安全策をとってステイしている。

やはり、場所はおおよそわかるものの、その土地がお世辞にも住宅街になっているとは到底思えない場所のままである。恐らく購入した時代と変わらず原野に近いのではないかと思う。電話で聞く限りそのままであろう。

とは言え、比較的近くに住んでいることは間違いないので、今度地元に帰って地図を見せてもらったら行ってみたいと思う。
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