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「確率分布と統計的な推測」を学ぼうか [教科(数学)指導者として]

数年前、同じようなことをサラッと行っていたなあ。

その時の問題集を引っ張ってきて、数学Bの「確率分布と統計的な推測」を学んでみようかと思った。

理由は、先般行われた大学入試共通テストの問題を見たこと。それから、生徒がこの第3問は実は易しいのではないかと聞いてきたこと。ネットで調べてそう思ったのだろうか。

そんな事があったので、再度勉強をしてみることにした。

以前勉強したときはそこまで本腰を入れて勉強をしたわけではないので、なんとなく話として覚えているくらいではあるが、受験という意味では、ある程度の積み上げが必要であることに気がつく。

数学Iのデータの分析、数学Aの場合の数と確率である。数学Aで確率を捨てるという話はあまり考えられないが、そういう生徒はアウトということになるだろう。いい復習になるのかもしれない。

加えて前に勉強をしたときに感じたことであるが、それを学ぶための方法が今、手元にはあまりない。多くの学校では数列とベクトルを学んで終わっているわけだし、この分野を学ぶためには、ある程度独自路線で、問題集などを解説してくれる人もいない状況を覚悟しなければならない。

でも、それを乗り越えても、この問題は易しいと思う。

数学2・Bの第3問に位置づけられたことで、受験生的には、マークシートへの転記ミスが起きないか心配になることが増えたわけだが、そこまでして第3問にこれを持ってきたことには何がしかの意図を感じずにはいられない。

ということは、第3問を易しくすることによって、世の中にこの分野を浸透させようとする作問者の意図でもあるのか?

そこまで勘ぐってしまう。長いものに巻かれるのは私の最も好きでない考え方なのだが、生徒をそこに巻き込むわけにもいかない。ということで、空き時間に勉強してみよう。
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太郎と花子の会話の件 [教科(数学)指導者として]

この話を授業の間に入れることが増えた。

衝撃を与えた今年の大学入試共通テスト。あまり見たくもないが、今後のことで対策が求められるのは、太郎と花子の件である。

そんなことをしなくても、それなりに入試は成立していたように思うが、太郎と花子の出演回数が増えるのであれば、仕方あるまい。受験生は「生きるため」に、太郎と花子の出演について意識しながら問題を解くことになるのか・・・。

本筋にあまり関係がないやり取りもあるが、それも含めて読まないといけなくなったので、試験時間が10分プラスした内容にそれが含まれていることになる。それも大変な負担だろう。

加えて、文章の流れをもって話のヒントが散りばめられているということの中で、ちょっとした無茶振りも感じられる。会話の意図をどう読み取るか、数学的なセンスをここで磨く必要がありそうだ。センスを磨くような会話を少々意識した内容が求められる。まあ、それはこれまでもそうなのかもしれないが。

そもそも、この新型コロナウイルス感染対策の関係で、グループワークなどの話はあまりしにくくなった。そんな中で、容赦なく出てくる太郎・花子の件について、グループワークで磨いていくというコンセプトではなかったんだなぁと思った。新型コロナウイルスの関係がある程度収束しなければ、出題しにくいだろうなと思っていたが、ここまで容赦なく出てきた。そういうところも含めて、今年の受験生は気の毒だったなあと思わざるを得ない。

まあ、グループワークをしたところで、この問題を解くような高尚なやり取りが成立する学校は日本の中でもごく一部のように思われるが・・・。
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教員用指導書を見る [教科(数学)指導者として]

正直な話、普段は解答が違っていたら困るなと思う問題の確認にしか使っていないのだが・・・。

授業をどうやって組み立てればいいかなと研究を重ねている。

たまに、教員用の指導書を見てみようと思った。すると、デジタルコンテンツが掲載されているものがあった。どれどれと思い、確認してみることにした。けっこう使うそうなものもあるんだなと思った。こういうものがあるのであれば、使わない手はない。これは面白いわ、と思うものもあった。

共通テストの練習問題の中で「パソコンを使ってみると」のような問題が出てきた。こういうことになってくれば、否が応でも使わざるをえない。経験的にこういうことをしておくのとおかないのとでは話の展開がまったく違ってくるだろうなと思う。

共通テスト恐るべし、テストが変われば、教育方法は変えざるを得ない。

パソコンをやっているとなんとなく指導した気になるみたいなこともあるし、受けてもそういう気になる部分もあるかもしれないが、結局この指導を通して何が残るんだということの方が大事である。生徒も教員もそこをはき違いがちになるので、十分気をつけねばならない。

指導書のコンテンツで使えそうなものがあるものは、活用するようにと、自戒を込めてきちんとメモしておこうっと。
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授業動画制作への道 [教科(数学)指導者として]

いい機会なので、授業を作成するための動画を作るための勉強をしている。

その勉強はまずネットで検索とyoutube動画の視聴から始まり、少しずつ内容が細かいところになっていく。

そもそも動画を作成するための道具にかかるお金がそれなりにかかることがわかるので、それだけでもけっこう厳しいものがある。おまけに、いろいろな道具があるので、どの道具を使うのか、目移りしてしまう。どれでもいいのかもしれないが。

googleなのか、microsoftなのか、appleなのか、など。

ツールはたくさんあるが、次にソフトの勉強をしなければならない。その作業がこれまた膨大なものになる。ツールにもいいところと悪いところがあるので、そのどれを使おうとするのかなどなどなど、言い出したらきりがない。ソフトの使い方を勉強すること自体で、本来の教え方について考えるところまで至らないのが今の私の現在地である。

こういう時間を好きな人もいるだろうが、使い方が時代によって変化していくものでもあるので、この勉強にどんな意味があるのかなぁとか、いつまでこの技術が使えるのかなぁ、みたいなところも感じるところではある。だからといって勉強しないとなる訳にもいかず・・・。
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大学入試共通テストから見えるもの [教科(数学)指導者として]

初めての大学入試共通テストが終わった。
数学の問題について、思うところを書いてみようと思う。

かねてから言われている通り、実際の場面で話になりそうな話題ということなのか、その問題設定を理解させるために文章の分量が多くなった。この分量が増えたことは受験生にとって結構な負担になったと思う。緊張して頭の中に言葉が入ってこないと大変だなという思いを持った。

次に、ここまで問題の見た目が変わってくるとこれまで取り組んできたような、参考書や問題集を解くことの意味が問われてくるのかもしれないと感じた。取り組む意味がないとは言わないが、チャート式に代表される参考書や問題集の意味が問われると思う。それと、今回のような問題をつなぐことを考える必要があるのかどうか、ここまでくると、早期教育の重要性がことさら大きく意味を持ってくることなのかもしれないなと思う。

言語をどう獲得するか、とか、習慣として長い文章を読むことなどの必要性という、これまで学んできた数学とはまた違う話になってくるのかなと思う。

そもそも数学とは、ある意味数学の世界における抽象の世界の中で、どのように考え方を作り上げるかということを突き詰めることに意味があると思う。そことはまた違った世界の話が出てくることによって、数学という学問が違うものになってしまわないのか、ということがいささか心配である。そういう世界はきちんと残す必要があるだろうに、というのは数学を曲がりなりにも学んだものとして思うことなのだが、世の中の流れとは違ってしまうのだろうか・・・。

壮大な話をすると、数学を学ぶことの意味が問われた今回の共通テストだと思う。
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新作問題集を解くと [教科(数学)指導者として]

ちょっと雰囲気が違う。

今更ながら共通テストの問題集を解いている。だいぶん雰囲気が違う。問題の形式が違うだけで、頭の中の思考回路を少し切り替えないといけない。

ある意味、これまでの30年間でセンター試験で人生の分かれ目を潜り抜けてきた人たちからしてみれば、これを切り替えるということは言うほど簡単ではないかもしれない。私が年を取ったということなのかもしれない。むしろそっちのほうが要素としては大きいか。

問題文を斜め読みしていては問題解決にならない。きちんと読んで意図を汲まなければならないのもなかなかのものである。まあ、さび落としとしてはちょうどいいのかな。

今年は共通テスト受験者がかなり減った。新しい体制だから浪人生が減ったということもさることながら、推薦や総合型入試というのが大きなウエイトを占めたということでもあるのかもしれない。このテストもどうなっていくのか、まずは本テストに注目していきたいところだ。
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課題の点検 [教科(数学)指導者として]

ひたすら課題の点検をしている。

内容もさることながら、課題の点検をすると思うことがある。

1 課題の字は丁寧な方が印象が断然良い
2 課題の字が丁寧なのは女子に多い
3 人の話を聞いているのかどうかがよくわかる

時代は「男子」よりも「女子」が優勢であるというのが傾向としてよくわかる。
男子たちよ、もう少し丁寧に課題を書いてくれないだろうか・・・。

男女差別?といわれるかもしれないが、男子の字が総じて丁寧でないことが多いのはなぜなのだろうか・・・。
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動画談義 [教科(数学)指導者として]

動画で勉強をするコンテンツが伸びてくる際に注意すること。

Youtubeで教育系のさまざまなコンテンツが増えてきていると言われている。今後もさらに増えるのではないかという話も聞いたことがあるので、数学だけでなく、他の科目も含めて増えていくのではないかと思う。

たまたま、スタディサプリなる動画サービスを見ている中で思うことなのだが、実に無駄がない授業構成である。ひとことで言うと素晴らしい。プロの動画だから当たり前と思うかもしれないが、これらの動画にもエッセンスがあり、どこの内容をどこの問題で採り上げるかを綿密に決めて、1冊の中で大事なエッセンスをどこで触れるのかをきちんと考えている。したがって、でたらめに問題を解くと、その大事なエッセンスを学ぶことができない、ということがあり得るわけだ。

こういうことは、問題集などを解くときもそうで、ある問題集の中で何度もさせた方がいい内容は何度も出てくるということでいいのだが、一度だけ出てくる大事な内容というものもある。こういう場合は、きちんと全部の問題を解かないと得られない内容だったりする。

問題集の執筆をしたことがあるのでそういうことを思うわけだが・・・。

ただ、生徒がさまざまな動画サービスを見ているのを横で見て思うことだが、Youtubeを活用すると、必要がないと感じられた場面は飛ばしてしまうことが習慣化されているようである。

同様のことを有料コンテンツで行ってしまうと「問題の解答を確認して終わり」みたいな使い方をしてしまう生徒がいるということである。学校で課題を出された場合に、飛ばす内容の中に大事な説明が含まれているとしたら、それを飛ばしてしまうわけだ。そういうやり方だと大事な内容を網羅的に身につけることはできない。

よって、動画サイトで勉強を隅から隅まで行うためには、少なくとも動画文の長さ分だけ時間がかかることになる。

読むのと動画を見るのはどちらが早いか。そういうことも勉強で考える必要があるのかもしれないと思う。読むのが学ぶのに速いと思われる内容は、問題集で学んだ方が便利なのかもしれない、ということである。

そうなってくると、授業もどうなんだということになっていくのかもしれない。超・頭がいい人にとっては、学校に行くより、書物で学んだ方が速い、ということになるのかもしれない。

生徒達は「動画はわかりやすい」とよく言う。ただ、ある一定程度を越えた頭脳の持ち主にとっては、書物で学んだ方が時間の使い方としてはいいかもしれない。
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動画配信 [教科(数学)指導者として]

夏休みに入り、三者懇談会を行っている合間に生徒相手にちょっとした動画配信を始めた。

自分で自分の動画を編集するのは気恥ずかしいが、自分で自分の言っている言葉を確認するという行為もいい勉強になると痛感している。人に嫌なことを指摘されるのもあまり気分の良いことではないので、自分で自分のことを直すのが一番だなと思う。嫌なことを言いたくないだろうし、言われたくなければ自分の責任で作業をするのが一番だ。

ユーチューバーでもないのに、これだけの編集ソフトや機器があるというのはもはや変態の域に達しているように思う。やって思うのは、巷のYouTubeの動画を見ながら思うのは、さすがだということに尽きる。自分も励まないといけない。

長期休みのときにしか気持ち的にはできないかもしれない。平日に動画配信をしようという気になるかどうかと言われると今の状況では難しい気がする。できたら夏休み明けも1日一本ずつ動画を作れればスキルアップに繋がると思ってはいるのだが。

動画配信画面.jpg

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ビデオを撮ると気がつくこと [教科(数学)指導者として]

オンライン授業をすると嫌でも気がつかされること。

自分の授業がどんなものなのか、第三者的に見返すことになるということである。これは多分多くの先生にとってはとても嫌なことであるのではないかな、と思う。

自分の声が嫌いとか、間の取り方が悪いとか、説明の仕方が悪いとか・・・動画をチェックすればするほどそうなっていく、と思う。

でも、それはある意味必要なことで、そこを改善できれば高いクオリティーの授業ができるのだと思う。そういう意味でも、オンライン授業は、日本各地の教育の質を上げることになっていくのではないかなと思う。一番改善するのに効果的なのは、自分で自分の苦手なところに気がつくことだと思う。他人に言われるのはどの先生も嫌だと思うので、なかなか改善に向けて何かをやろうとしないというのも現実だと思う。
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動画配信 [教科(数学)指導者として]

動画配信が注目されている。

動画を作るのは私の得意分野ではあるのだが、動画を配信するとなればまた話は別である。でも、世の中のニーズもあるようなので、少しやってみようかと思った。

説明したい内容をまずはパワーポイントで作ってみようか。と思い、まず説明する内容をパワーポイントで作ってみる。そしてファイルを作って保存しようとすると・・・エクスポートなるものがある。保存ではなくて、エクスポートなのかと思って、そのファイルを開いてみると・・・。

20200420.jpg


動画を作ることができるのか・・・ということで1つ発見をした。

ここからエクスポートして、動画のデータを作って、それを動画編集ソフトにのせて、説明用の音声を作って、動画を伸び縮みさせて、完成。
なるほど、いわれてみると、この方法でYoutubeの映像を作ったと考えられるものもそれなりにある。
必要は発明の母というが、そういう体験だったのかもしれない。何事も挑戦すると新しいものが見えてくる。
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既存の教材・オリジナルの教材 [教科(数学)指導者として]

昔作った教材を何度も使う。

数学の教員として作った教材は、時代の変化で教えることが変わることが少ないので、何度も使える。結局のところ、数学の教員は同じことを何度も教えるだけ、と言われればそれだけなのかもしれないと思うこともある。もちろん、そういったストックがなければ、作らなければならないのは言うまでもない。そういう意味では、若い先生は辛いから辞めない方が良い。ストックがたまれば、使い回せば良い、ということだ。

もちろん、教える層によって教え方が変わることは普通にあるが、同じ学校である限りはその可能性も低いのかもしれない。

さて、教える生徒達が10年以上ぶりにこれまでの層とは違うので、それが通用するのかどうか少し心配であることもあったが、案外、通用することがわかったので、教材を持ってくることにした。

そもそも生徒は、自前の教材が好きなのかもしれない。少しやる気が出るような仕掛けを入れておけばなおさらだ。
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大学入試センター試験指導最終日 [教科(数学)指導者として]

大学入試センター試験の数学の日の前々日。最後の指導の日を迎えた。

九州の学校では0時限目の指導が普通であるという言葉を聞いて、当時は何人かの進学を目指す生徒がいるので、その指導を始めるところから朝講習という考えに至った。その後、2年続いた。特に他の科目の指導をするわけでなかったから、毎日朝は数学の講習をしていたわけだ。その日々も、今日で終了を迎えた。

1年あたりの登校日は年間200日くらいだから、解いた時間と問題数は膨大な量になった。こちらもさすがにそこまでの予習はできないので、あり合わせの指導になった感は否めなかったが、暑い日も、寒い日も毎日来た生徒とはその時間を共有してきた。

こういうコツコツと何かに取り組む時間がいい結果につなげればいいと思うが、結果はうまくいくこともあればそうでないこともある。

ただ、毎日コツコツと取り組むことに意義があるんだなと思う。できたら、そうやって取り組んだことが大きな何かに繋がるという経験をしてもらえると、これからの人生の自信になっていくだろう。その積み上げがこれからの人生のひとつに繋がっていけばいい。そんな人生の大きな転機になる人もいるだろう。

また、どこの一流進学校だろうが、どこの底辺校だろうが、大学入試センター試験は平等に受験することができる。一流進学校だから有利になるとか、出身に関係があるとかそういったこともない。細かいことを言えば、塾に行くことができる財力があるとか、文化的にいいものに触れられる環境があるとか、そんなことはあるかもしれないが、少なくとも、本番の試験は、紙と鉛筆があって、後は自分の脳みそで答えを出す。そういう意味においては、この試験は平等かつシンプルで単純だ。

だから、受験という世界が私は好きなのかもしれない。家の経済力で上から並べられたら下から数えた方が早い人間にとっては、センター試験は千載一遇のチャンスなのだ。

そこには人生の一発逆転がある。最後のセンター試験、大げさなことを言えば、自分の人生をかけてセンター試験に立ち向かう人もいるだろう。個人的にはそういう人を応援したい。

でも、次の入試制度はそのようになるのだろうか。報道その他で感じることは少し心配になることがある。是非とも、日本各地にいる「ダイヤの原石」を発掘するためにも、開催する側は、そういったことを大切にしてほしい。


このセンター試験で、自分がこれまで教えてきた生徒達はもちろん、人生の一発逆転をかけて正面から向かっていく日本各地の生徒達に、エールを送りたい。
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スーパー記憶術 [教科(数学)指導者として]

答えをまるごと暗記する。

私が中学・高校時代によく読んでいた雑誌・週刊少年ジャンプには、ときどき広告で脳みそから稲光が走っていて記憶する方法について書かれていた通信販売のような広告が出ていたことをなんとなく覚えている。そこに書かれていたのは確か「スーパー記憶術」という言葉だったと思う。

その言葉を使って、生徒に「スーパー記憶術」禁止例を出している。

同僚に面白い話をしてくれた先生がいる。

ある定期テストで「この問題を出すぞ」と言って予告通り、問題をそっくりそのまま出すと言うことを実行しようとしたらしい。そもそも、その是非はともかくとして、その先生は誤って、よりによって問題文を書くのを忘れたらしい。それをテストの巡回で生徒から指摘があって気がついたようなのだが、恐ろしいことに、特に質問をしなかった生徒たちは、その問題を正確に解いていた?のだそうだ。そんなに学力層が低くないはずの生徒がそのようなことをしたという話に少なからず衝撃を受けた。

なかなか興味深いエピソードである。

最近の私のテストはこの中から同じ問題を出すという心優しい設定の試験問題を出すことがあるのだが、記憶する問題が違っていて、違う問題の解答を答案に書く生徒もいる。問題にそういった設定がないのに、なぜその解答になる?という衝撃が走る。ただ、一方で、追い込まれた生徒があがく過程の中でこういったことは起こりえるだろうな、と感じてはいる。

あるいは、数学は過程が大切と言うことで過程を書けというのだが、答えを一発書いておしまいという生徒も少なからずいる。

後者の解答を私は「スーパー記憶術による解答」と定義した。そして私はその解答は「覚えていると言うことに敬意を表して1点だけ与える」と決めた。それでも点数がほしい生徒は答えだけを覚えてくる。賛美はあるかもしれないが、まあそこも差別化するために点数はあげましょう。

しかし、さらに超越した生徒はいるもので、無反応というゾーンの生徒の存在もある。事情はさまざまであろう。他教科の勉強が優先で手が回らなかった、アルバイトで怒られてやる気がなくなった、告白に失敗したのかもしれない。

一般の人たちには、学校の生徒の学力がどのようになっているのかはわかりにくいのかもしれないとは思いつつ、このようなケースは少ないと思われるのかもしれないと思われるかもしれないが、この層は着実に増えているのだとは思う。理由は簡単で、少子化により競争がなくなっているからである。何も努力しなくても世の中は戦力を必要としている。間違いなくそういう人たちも必要とされている。そういう中で勉強に価値を見いださせて、スマホでゲームをするよりも価値があることだと思わせて行動させるようにするのは至難の業だと思う。

まあ、久しぶりにそういった人たちの担当をする中で生徒たちと楽しく授業をやっている気がする。そこに至るのには少し時間がかかりましたけど。
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公式を試験に出してみた結果 [教科(数学)指導者として]

試験に公式が掲載されているような問題を試しに出してみた。

とは言っても、単に公式が掲載されている問題を出せば、馬鹿にしているのか?ということになるかもしれないので、公式を選択肢の中のどれかという問いかけにして、公式を手元に残させる作戦とし、公式を使える状況を作って問題を解かせるという作問にしてみた。

こういった出題傾向にすることついては、あらかじめ告知した。

なぜこういった試験問題にしたかと言えば、自分自身が最近取得した情報の教員免許を取るための勉強の際に強く感じたことであった。

「もしも、人間の機能にスキャナ機能があって、これらを画像としてコピーできれば。記憶しなくてもどこに何があるのかを記憶していけば、活用できれば困らないだろうに・・・」

当然のことながら、教員免許を取るためには内容を覚えたわけだが、内容を覚えるのに意味があるのかないのか?ということを少し考えてみたという着想によるものであった。数学の話題を念仏か何かと思っているとしたら、残念ながら言葉は意味をなさず単なる記号でしかなく、「スーパー記憶術」によって解答を書くだけなのかもしれない。

仕方がない。私は数学教員として一種の誇りのようなものはあるつもりだが、生徒にとっては何の関わりもないのだとしたら、そこは少し妥協するかと言うことで「公式を使う」と言うことに主眼を置くことにした。職場でも、そのことを話題にして、どうなるのかと言うことも少し同僚に注目してもらうことにした。

結果は人それぞれというところはあるが、公式事態をテストに出すという行為が意味をなした生徒がそれなりにしたものの、残念ながら、公式の判別がつかなかった生徒もいた。間違えた公式を用いて問題を解くのだから、間違えた公式を使って問題を解いたとしたら・・・それは残念な結果になるしかないだろう。それはどちらにしても残念な結果になる訳だから、あまり気にしないことにした。

なお、この問題構成にするのに参考にした某業者試験の問題の問題構成がこれであった。
(1)で公式を選ばせ
(2)で公式を使わせ
(3)で公式を応用させる
という流れである。この問題の流れを一通り研究しておいたので私の今回の試験の着想がわいたわけだが、よくできている試験だな、と改めて思った。業者も考え抜いて問題を作ったのだろうが、なるほど、こうやって生徒を診断するというのも一つの方法なのだなと思う。

テストの結果?今までよりは良かった。が、内容が難しい分野だからなのか、私が想定しているほど点数は伸びなかった。
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学校祭終わる [教科(数学)指導者として]

昨年度は生徒会顧問として迎えた学校祭だったが、今年は一担任として迎えることになった。

よく考えると、初めてものを販売してみることにしたので、初めての経験で緊張感が走っていた。ものを売ることを生業としているわけではないので、経験がないところに来て、生徒たちは想像の範囲内でさまざまな挑戦をしていった。そのような中で頼りになったのが普段アルバイトをしている生徒たちであった。必要なものを的確に指示し、買い出しなどでも活躍した。

当たり前のことだが、その中では計算がある。別にレジを持っているわけではないので、手計算である。普段数学が苦手な生徒たちはどう出るのか。やはりそれなりのリアクションを示してくれた。

私としても、仕入れは担任のお金なので、おつりの計算などすると結局自分に返ってきてしまう。生徒たちもわざとそういったことをするわけではないだろうが、果たしてお金が合うのかどうなのか。

アルバイトの生徒たちも今では文明の利器であるレジを使っていて、計算に困ることは打ち間違えで反応できるかどうかということになるだろう。単純な計算だが、間違えないように計算しないと。

まあこんな経験も今ときの人たちには必要なのかもしれないなと思いながら学校祭が終わった。

夏休みが近くなってきた。どうにか1学期が終わろうとしている。いろいろな意味でタフな時間帯を過ごした。
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倍数判定法 [教科(数学)指導者として]

整数の性質を教えていると、倍数の見分け方なる項目が出てくる。倍数判定法というのですね。

2の倍数は、1の位が偶数
3の倍数は、各位の数の和が3の倍数
4の倍数は、下2桁が4の倍数
5の倍数は、1の位が0または5
6の倍数は、2の倍数かつ3の倍数
8の倍数は、下三桁が8の倍数
9の倍数は、各位の数の和が9の倍数

これくらいがあれば、偏差値60程度は十分にクリアできるだろうけど、なかなか判定しにくいものはどうなっているのか。そのへんまで調べてみると面白いことがわかる。

7の倍数、11の倍数、13の倍数あたりまではやってみる価値はありそうである。時間があったらネット上にもさまざまなコンテンツがあるので見てみると面白い。このように、興味を持った話題をさらに深めてみるというセンスが必要なのだな、と思う。

こういうことをやらないと、数学の深みを知ることはできない。
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「丸はつけるんですか?」 [教科(数学)指導者として]

冬休み中に大がかりな宿題を出した。結構手間がかかる宿題だった。

宿題を出すとよく聞かれることが今日のタイトルである。なぜそんなことを聞くのか、少し不思議に思う。

丸をつけないとしたら手間がかからないということなのか、
丸をつけなければ解答は見なくても良いということなのか、

どうなのかは人それぞれなのだろうが、今回は丸をつけなければならないと答えた。

個人的には、答えを見て、改めるべき点を改めてもらって、結果を残してくれさえすればいいようにも思うが、指導だから、人それぞれのことを統一した見解を持って答えることがみんながきちんとした勉強につなげるために丸をつけなければならない、ということか・・・。

少なくても、解答を見て、答え合わせをして、間違えたところは改める。当たり前のことを当たり前にやってほしいなあ・・・。

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高校入試の内容が少し変わった? [教科(数学)指導者として]

大学入試センター試験後継の話が、徐々に浸透しつつある気がしている。とはいえ、アンテナを立てていないとその変化についていけないという状況に気がついたらなってしまうのかもしれないが・・・。

そのためには、高校受験が何らかの変化を見せるのではないかと思っていて、高校受験の「電話帳」(業界用語)をぱらぱらと開いてみた。

旺文社の全国高校入試問題正解(数学)2019はこちら


見て思ったことは、かつての問題から、少しずつ身近な題材を求めるようになってきたことがわかってきた。よくぞまぁ、いろいろなところから話を持ってきたと思うほど、さまざまな角度から数学的な問題を持ってきているのに感心した。この背景には、大学入試センター試験の後継の問題を意識しているのだろうなと思う。問題を作る側は、基本的に高校の教員であることが多いだろうから、高校の教員側からすると、大学に合格するための力を見たいことはずである。世の中のトレンドをある程度知っている人がこの問題を作るわけだから、当然といえば当然のことなのかもしれない。

問題を作る側もこれからは大変だろう。普段さまざまなところにアンテナを立てて、様々な事象を数学的にとらえなければならない。それくらいなら意識が高ければあればそれなりにできるのだが、さらに問題はその事象が高校入試として使えるような内容として妥当なものになるかどうかである。それもまた難しい。

「数学が世の中では役に立たない」という批判があるが、数学は役に立っている。思考力という意味では、数学が持つ世界観が応用できる範囲は広いと思うが、残念ながら、ある程度の学びに到達しないとそこまでの理解に進むことは難しいのかもしれない。身近な題材から問題を求めるということも悪いことではないが、どこまでそれができるのか、限界があるようにも思う。まあ、今のところはさまざまな問題を見ながら楽しむことにしたい。先ほども述べたとおり、いろいろな設定の問題を見て感心している。

ただ、この話の延長線上にある、「問題を自分で作れ」と言われたら、さぁ、どうしようか・・・。当然そこを意識しなければならないのだが。
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解くのが良いか、読むのが良いか [教科(数学)指導者として]

参考書を空き時間にひたすら読んでいる。

問題を解く時間は膨大にかかるので、どうしても読む時間として解き方を「見る」ということも多くなってしまう。解くための時間が確保できることはなかなか難しい場合には、こうならざるを得ない。

解くのが良いのか、読むのが良いのか。当たり前だが、解くのが良い。

関係ない解法に思いをはせたりすることもあるし、曖昧な知識に気づいたりすることは、問題を解くことでしか経験できない。しかし、デメリットとしては、問題を解く時間がなかなか得られない場合には、解く問題の絶対数が減ってしまうことにある。読むことで数多い問題を解いた気になっていても、結局のところは、その知識が「自分のものになったかどうか」ということで考えると、難しい、というのが現実だろう。

効率の良い勉強方法ということか一面であるものの、じっくりと問題を解かないと、なかなか自分のものにならないというのも一方の現実だ。
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冬休みの最低ノルマ終わる [教科(数学)指導者として]

青チャートの冬休み中に個人的に課していたノルマが終わった。まだ発売されているノートがここまでという話なので、春休みには、数学Ⅱの微分積分と、数学Bの数列をすることになりそうだ。

数学ⅠAはできても、数学ⅡBができない子が多いのはなぜかという理由をここ数年問いかけているが、やはりそれなりの分量がある内容であり、ここで人間としての限界(?)を感じてしまう受験生たちは、センター試験で数学ⅡBを全く点数が取れない理由のようなものを垣間見ることができた。数学は積み上げだ。積みあがらない分野は、数学ⅡBでは通用しないところも数多くある。典型的なのは、数学Ⅰの2次関数である。センタークラスの小手先のものであればどうにかなるものもあるかもしれないが、ここができないと、数学ⅡBは壊滅してしまう。ここで空いた穴こそが、数学ⅡBの問題が解けない大きな理由になっていくということを改めて痛感したのであった。特に数学Ⅱの前半学ぶ内容(今回解いた青チャートの内容)は、表面的には別の分野だが、本質は2次関数というものがあまりにも多い。2次関数をそれなりにできるようにならないといけない、と痛感したのである。学校に来ている1年生には「高速トレーニング」をやらせている。ここでは何が起こるかといえば、2次関数を学んでいるときに係数が文字というものは教科書を学んでいる範囲においてはほとんど起こらない。しかし、問題のほとんどは文字係数なのである。そこに慣れていないと恐ろしく時間がかかる。これが日本の数学教育での中位層から上位層を作り出すためのポイントになっていることに気が付かないといけないだろう。

まあ、なにはともあれ、今日はノルマを達成した。まだまだ長いぞ冬休み。ノルマ以外にも学ばなければならないことはたくさんある。ベクトルの計算がスムーズでないことを個人的に反省した。内心・外心あたりはもう少しこなれないといけない。指導者が苦手だと生徒も苦手になるから気をつけねば。
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朝学習 [教科(数学)指導者として]

朝学習を始めてから2か月が過ぎた。

最初は教えているくらいの生徒が来ればいいなあと思っていたが、気がついたら別のクラスの生徒も来はじめ、人数は増加傾向にある。

講習は30分。先生方の朝の打ち合わせ30分前からスタートしている。模擬試験の過去問を解くのがメインとなっていたが、すでに解く問題がなくなってしまったので、別の企画にシフトしている。気がつけば、1年生と2年生が混ざるようになってきた。混ざってもいいような企画を用意しなければならないので、結局は1年生の復習であることが多くなるに違いない。もっとも、数学ⅠAはだいたい終わったので、2年生も復習としてやればいいだけの話だ。

毎日私が好きなタイミングでやっていることなので、先生方の方からクレームが来ることはないが、一大勢力になったら、たぶん自分に火の粉がかかることが判明しそうになったら邪魔する人間があらわれるのかもしれない。大人の世界はそんなものである。そうなれば「地下組織」にするしかないのかな。
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大学入試攻略数学問題集 (河合塾シリーズ) [教科(数学)指導者として]

河合塾の年度出ている問題集を購入して、問題をセレクトしながら解いている。

入試問題のトレンドを知るための1つとして購入しているわけだが、時代の変遷を知る1つの手がかりになると思い、10年分くらいにはなっただろうか。

やって思うことが、高校1年生~2年生までにどこまでの解法パターンを自分のものにしているのかが入試レベルでも非常に重要なのがよくわかる、という当たり前のことであった。

この問題集をやって感じていることは、いかに入試問題が、すでに青チャート、4STEPレベル程度の問題の焼き直しになっているか、それだけでかなり多くの国公立大学やそれなりの次第に入ることができるかどうかを分けているのか、ということである。

そこから入試レベルということだが、正直、それらの問題集レベルの問題の数値が変わる程度でもそれなりに成績が分布する大学がけっこう多いのだろうな、と感じるところである。もちろん、本当に数値変えだけの大学が掲載されることはないだろう。ただ、本質的に同様の問題が言い方を変えて出てくるだけであることに気がつけば、大差ない問題は少なくないんだな、と実感できる。

指導者は、この手の問題集の代表格である「数研出版の入試問題集」もいいと思いつつ、問題数がそれなりに絞られているこの問題集を解くことで、毎年の出題傾向というか難易度についての空気を感じるのも良いのかな、と思う。


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新テストのサンプル問題 [教科(数学)指導者として]

大学入試センター試験の後継にあたる試験がついに公表された。センター試験よりは少し待ったりするのかなと思って淡い期待をしていたが、どう受け止めればいいのだろう?

これまでも盛んに高校の教育改革の話は出てきていたものの、大学入試が変わらないとなかなか変わらないという話であったわけだが、ついにそれが変わるということだから、業界の注目は相当なものである。

わかりやすいところで、外部試験の導入となる英語については、先行して、さりげなく、英検のほうも、受験の科目、受験料が大幅に見直されて、新しい試験を意識した内容にするのだろう。社会の要請にこたえる形なのだろう。受験料も値上がり幅が大きく、これもまた驚きである。近くの大学も、外部試験の結果を一般入試の結果の一部として使うということを表明する大学も出てきて、先行する動きも出てきている。

こうなってくれば、高校の現場も変わらざるを得ないだろう。

数学の問題については、これまでのとは雰囲気が変わった。問題解決型。こういうものは、旧来のもののほうがいいということを言いたくなるのが人間の性ではあるが、こうなるのであればどう対応したらよいのかを考えなければならない。これからは問題を作る側もそういうことを常日頃から考えないとだめだ。勉強といえば、単に「暗記する」と考えている人がいるのかもしれないが、インターネット上には「玉石混合」であるものの、いくらでも情報は転がっている。それをどう生かして問題を解いていくのか、情報化が進んでいく中ではそのような力が求められていくのだろう。

もう一つの話題になるであろう「記述」はあんまり記述という感じでもない気もするが、生徒にとっては大きな変更になるのかな。

いずれにしても、大学入試が変わろうとしているのは、まあ仕方がないのかなと思うが、この変化に各校がついていくことができるかどうか、ここに偏差値下克上のヒントがあるのかもしれない。

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寝なければ、成績は上がるものなのだ [教科(数学)指導者として]

今年度はアクティブラーニング型授業に取り組むべく、日々精進している。ただ、年間を通しての取り組みにするべく、形はそれなりに保ちつつ、現状とのすりあわせをしながら進めるため、まだ確立したとまで言えないのが実情である。

対象がフレッシュな入学したての1年生であること、内容が中学校の復習から入っているからということもあるのだろうが、今のところ、とりあえず寝ない。

アクティブラーニング型授業の最大のメリットは、浮きこぼれも落ちこぼれもとりあえず「寝ない」ことにあるように思う。寝ている時間がないほどに追われていると言うことになっている。ある程度勉強ができる生徒も寝ない。けっこうなことである。

逆のいい方をすると、日常、寝ている生徒の何と多いことか。休憩しているのだから、成績が上がるはずもない。当然のことを改めて確認した。

勉強というくくりの中では、小学生や中学生でも寝ないのに、なぜ高校生になったら急に寝るようになるのだろう・・・いつの頃から兼ねるようになるのか、こういった統計データを取ってみるのも、良い研究になると思う。すでにあるようにも思うが・・・。
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マセマの合格シリーズを読んで思ったこと [教科(数学)指導者として]

マセマの合格数学Ⅰ・Aを読んだ。生徒もこの参考書シリーズをよくやっている光景を見かける。

生徒が購入するのには何らかの理由があると思ったので、問題を解くまではまだしてはいない。

読んで思ったことは、マセマの合格シリーズでいえば、この冊子には本文内に書かれた問題しかない。青チャートをしたばかりの私からすると、例題があって練習問題をするという流れにはなっていないが、どっちがいいのかな、とふと考えた。

とはいえ、青チャートも例題のみ行うというスタイルで勉強をしている人も少なくないようだ。十分いいのだと思う。青チャートとマセマの合格シリーズとはそもそも参考書のコンセプトが違うわけだから、比較するのも変な話である。

この手の参考書の生命線は、「選題がいいか」に尽きる。選題はいい。与えられた紙面の中に上手に内容を入れなければならないのだが、そのへんも上手に入っている。さすがだ。したがって、この例題というか本文の問題を隠して取り組んで、わからなかったら本文を読みさえすればいい勉強ができると思う。青チャートの重要例題や4STEPの発展と同じような問題もあるけど、総合的にみると難易度は「やや上」かな。

マセマの合格数学Ⅰ・A


時間があったら、この問題集の方も見てみよう・・・。
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何が教科として残るのか [教科(数学)指導者として]

新しい年度がスタートした。持ち単位数も増え、授業もずいぶん増えて、ようやく授業実践ができそうな感じになってきた。そっちの方が性に合っているので、良いことだと思っている。

ずっと3年生の授業担当が多かったので、今年度はどうなるのかということで言えば、久々の下級生の授業となった。これで、下級生の段階でこんな授業をやっておければ、という思いを実現できる機会が得られそうだ。

という一方で、新しい科目の授業が入ってくる。教科情報である。免許を取ってみたものの、それを使う機会がなかったので良かった。タイミングがあると思ったので、これについても良い勉強をしていかなければならない。

そもそも、すべての授業のコマが異なるというのは、授業のクオリティーが下がる可能性があるので、あまり好ましいことではないと思いつつ、私学の先生はきっとその傾向は多いのだろうと思う。コースがいろいろあれば、どうしてもカリキュラム上、異なる科目をせざるを得ない。そこが辛いところではあるが、良い経験として新しいものを想像していきたいものである。

その延長線でふと考えてみたことがある。100年後の学校はどのような授業構成をしているのだろう。そもそも学校の形態が今とは違っているような気もするが、学校ではこれもやりたい、あれもやりたいという内容が非常に多く、ある種の場所取り合戦のようなことが起こっている。例えば「受験に関係がない芸術はなくしても良い」という意見があるかもしれない。芸術の教科は残るのだろうか。そして、昨年度私が取得した教科情報の免許を取ったものの、学習指導要領から消えるのでないかと心配していた。世の中の流れはむしろ「プログラム教育」の必要性の話に進んでいる。このように、世の中では何が必要で何が必要でないかという話が出たり消えたりしている。この場所取り合戦が今と100年後が同じとはとうてい思えない。一体何が残るのか。ともすれば、根性論の方々が「全部やれ!」と言ってしまうかもしれないが、それは限られた時間の中では無理というものである。となれば、一体何が残るのだろう。国語、数学、英語は主要3教科なのだろうか。それすらも危うくなっていくように思える。100年後には私は影も形もないだろうが、何が大切で何を優先とするのか、多様化していく社会の中で、選択は難しくなるだろうな、と考えてしまった。
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参考書は授業解説には向かない [教科(数学)指導者として]

学校で採用する参考書と問題集のパターンはいくつかあるようだが、
①教科書傍用問題集のみ、
②参考書のみ、
③教科書傍用問題集と参考書どちらも持たせる、
というのが大きなパターンのようである。これについては、地域差、公立と私立などの事情もあるようで興味深い。教科書傍用問題集についても、解答を持たせる、解答を持たせないという2種類に分かれるようである。

最近、青チャートを解き始めた私としては、ときどきtwitterに備忘録的に感想を書くことにしているが、それとは別に、そもそも、授業の中で解説されているものを解説すると言うことをやったことがあるが、結局解説に書いてあることを解説しても、あまり意味をなさないという、言ってみれば当たり前のど真ん中のことに気がついただけで、時間の浪費をしてしまったことがあることを思い出した。

授業内で参考書の問題の解説をすることは、書いてあることを今更言っても意味をなさない。もっとも、書かれている内容自体が理解できない人たちにとっては意味がある場合があるのかもしれない。4ステップの解説がわからないという生徒がいるのは残念なことではあるが、解答・解説というものは、与えられた紙面の中に押し込めなければならないという意味において、それ自体の課題もあるという中では、やむを得ないところなのかも知れない。あるいは、青チャートを買えば理解できるということで、青チャートを買わせるということも念頭にあるとそうなってしまう、ということなのかも知れない。その青チャートが学校単位で買わせると言うことになれば、辞書的に扱われるという位置づけにならざるを得ないだろう。

③では、辞書的に扱われ、長期休みで課題として出され、長期休み明けに確認試験をするというケースが多いようである。自学自習の姿勢を養うと言うことであれば、それは大いに意味があるであろう。結局のところ、自分で学んで自分で読んで理解できない参考書はあまり取り組んでも意味がない、という帰結になる。わかった気になりたいから参考書を購入すると言うことでなく、自分の身の丈に合った参考書で確実な線で参考書を持てれば、それにこいたことはないが、学校が見栄を張ってレベルの高い参考書を買わせて、結局生徒の実情に合わない参考書を持たせるケースもあるようだ。お金の無駄遣いをさせる学校が残念ながらあるという現実にも目をやらないといけないだろう。
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指導者には集冊版よりもノートの方が良い [教科(数学)指導者として]

4STEPを使っていたが、改訂される時期を迎えてしまった。問題の差し替えが起こるシーズンに、解くべきか解かざるべきか、とても悩んでいる。前回は、B問題以降をだいたい全部といたが、さすがに少し面倒くさい。同じ問題も多い(というかほとんど)だろうし。

現在、そこそこの学校で行っている問題集のかなりのシェアを握っているのは4STEPである。この問題集の学び方として、集冊版で学ぶ方法とノートで学ぶ方法があり、ノートが出たときにはノートがはやった感があったが、それもひと段落して、ノート派と集冊版派がいる。

普段数学を指導する中では、ノート版に解答を書いた関係からノート版を使って解説をしている。とは言え、集冊版もきちんと所持しており、ケースバイケースで使えるようにはしてある。

どちらも持っていないことにはどちらの方が良いという話を論ずることは難しい。

その上で思うのは、指導する側としては、ノート版の方が便利ではないか、と言うことである。なぜなら、別解をたくさん書き込むことができるからである。もっとも、たくさんありすぎる場合には、その解答スペースでもさらに「足りない」と言うことが起こるわけではあるが。そのときには、さらに紙を貼って付け足したりしていた。生徒の解答の名作もこの中には貼っておいた。


さて、4STEPから派生するのは、相性が良いと言われている青チャートの存在である。
見た目は同じようなもののように見えるが、易しい問題を飛ばしてでも、今年1年かけて、青チャート、解いてみようかな、と少し思っている。その問題を見ながら、他の参考書との比較などやってみるのも一興かもしれない。こちらも最近改訂がかかったのでタイミングとしては良かろう。

青チャートの集冊版はこちら


青チャートのノート版はこちら


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EDuPAというサイト [教科(数学)指導者として]

すごいサイトを見つけた。

参考書のことを調べていたところ、私が行き当たったのが「数学Ⅲについて学べるサイト」であったが、それを超えるコンテンツ量。このサイトのコンテンツと作ろうと思った方々のスピリットが素晴らしいと感じた。「思い」がないとこのサイトを作ることができない。

もちろん、すべて見たわけではないが、コンテンツは高校数学のかなりの部分を網羅しているように感じた。これで、数学Ⅲの学習はばっちりかな。しかも、解説されている方が、あの長岡先生である。すごいことだと思う。

ということなのですかさずこのブログにリンクを張らせていただいた。ときどき見ることで私自身の学びにもつなげていきたいと思った。
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