字が汚い生徒に数学ができる生徒はいない [教科(数学)指導者として]
字が汚い生徒は、学習習慣が付いていない。そんなことは字を読めば一目瞭然である。
「綺麗に書け」といっているのではない。「丁寧に書け」といっているのである。
結局、見ている(採点している)人間を意識できるかできないかということにもつながっている。
自己満足的な解答を書いたところで、相手がどう思うかどうかは他人の勝手というのでは、独善的すぎる。
そういう意味でも、丁寧な解答を書けない人間は、残念ながら成績は上がりそうにない。
ただ、センター試験の勉強をするとどうしても字が汚くなりがちになる。自分がわかればそれでいいということになってしまう。だから、国公立大学2次試験がある生徒には、センター対策ばかりするのはあまり勧められない。センター試験対策といっても、自分でも読めない字を書くようになれば、自分で解けた問題の確認ができないのでアウトだ。時間が余ったときの確認ができなくなる。できる生徒に限って、このへんの手を抜いて、確認ができない人間になるので要注意だ。試験を時間を計って解くような練習の場合には、確かめの時間も1つのパッケージと見なして、練習をしておかないといけないのだ。
「綺麗に書け」といっているのではない。「丁寧に書け」といっているのである。
結局、見ている(採点している)人間を意識できるかできないかということにもつながっている。
自己満足的な解答を書いたところで、相手がどう思うかどうかは他人の勝手というのでは、独善的すぎる。
そういう意味でも、丁寧な解答を書けない人間は、残念ながら成績は上がりそうにない。
ただ、センター試験の勉強をするとどうしても字が汚くなりがちになる。自分がわかればそれでいいということになってしまう。だから、国公立大学2次試験がある生徒には、センター対策ばかりするのはあまり勧められない。センター試験対策といっても、自分でも読めない字を書くようになれば、自分で解けた問題の確認ができないのでアウトだ。時間が余ったときの確認ができなくなる。できる生徒に限って、このへんの手を抜いて、確認ができない人間になるので要注意だ。試験を時間を計って解くような練習の場合には、確かめの時間も1つのパッケージと見なして、練習をしておかないといけないのだ。
もっともひどいのが,式変形をしているときに,自分の書いた汚い字を誤解して,計算を誤るというものでしょう。みすみす勝ちを逃すようなものですから。
宿題を見たり,授業で演習させたり,そんなときに丁寧に書いていないのを注意すると,「試験ではちゃんとやります」などと言う子がいるものですが,本当なのかな。こういうのは性格と同じで,良くも悪くも日頃の行いが滲み出るものですから,一朝一夕にできるようになるものではないのですが,そういう大事さはなかなか(そういう年頃だし)簡単には分かってくれないものです。
まあ見方を変えれば,もちろん一つの要因にすぎませんが,丁寧に書くことをできない子がいつの時代にも一定数いるから入試で差がつくということは言えますね。だからこのような忠告も意味を持っているのでしょう。
by 留数 (2011-06-20 19:55)
私はよく「答案に気合いが入ってない」という言い方をしてます。真剣に勉強している者なら、採点者に「オレはここまではわかってるんだぞ!」とアピールする答案を書いてきます。読みにくい答案、どっちとも取れるような言葉遣いの答案にはそういう気合いが全然感じられません。答案って、時として人生を賭けて書くものでしょう。
by shira (2011-06-20 21:27)
コメントありがとうございます。字が汚いということは、どこでもある話なのですね。年々ひどくなっている気がします。因果関係を調べることはできませんが、テレビゲームなのか、パソコンなのかわかりませんが、そのようなものを使ってばかりいて、座学がないがしろになっているからなのでしょうか。
>留数さん
丁寧に字を書けるか書けないのかが1つの大きな差となって点数に出ているということにもなっていますね。それを見える形(点数化)にできないのが残念ですが、結構あることに本人たちは気がつかないのでしょう。
>shiraさん
人生を賭けて書くもの・・・その通りなのですが、最近の人たちは豊かさの中に生きているせいか、その気概が感じられない子が多いですね。もったいないですね。人生を賭けることができる時期というのは、そんなに多くないはずなのですが、未来のことなのでなかなか伝わらないですね。
by bashy0322 (2011-06-21 06:20)