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豊かさと執着心 [超個人的感想]

公立高校を長い間指導されていた方がこのような話をする。

「私立高校の生徒は、学習に取り組むための自力がないわけではないが、もう一歩の努力をしない傾向がどうしてもあるのではないか」と。

あと一歩の努力をするかしないかで、大きく違ってくる。体育系の部活動に所属していると、ここ一番の頑張りという練習をしていて、手を抜かずにやり切ろうとするか、そうでないかで、大きく分かれるところでもある。

練習段階でここ一番の「死ぬ気の努力」ができるかどうか。その積み上げが、最後の精神力を大きく育てる原動力にもなる。そこを支えるものがどこにあるのか・・・。

自分で道を切り開かなければならない生徒層、郡部の学校の生徒は、どうしても、自分がここで努力しなければあとがないという真剣味のようなものがあり、そこが勉強に対しての執着心となるという。それが、土壇場の精神力につながっていくものらしい。


一方で、「家庭の所得と学力の相関は高い」という話もある。豊かな家庭の子は学習における執着心がないということにはならないということになる。究極的には人それぞれではあるが、その傾向はあるのかないのか、少し気になるところではある。この場合には、「学力との相関」ではなく、「学歴との相関」ということになのかもしれない。

いずれにせよ、ここ一番で粘りきれる人間になってほしい。豊かさがあろうがなかろうが、精神力を大きく育てる方法はあるはずだ。また、学力が高いからと言って、粘り強さがなければ、どの人間にとっても訪れるであろう人生の局面で馬力を発揮することは無理だろう。

相殺されると、結局、どっちもどっちということになるのだろうか。であるとすれば、結局は自分自身の問題だということに話は落ち着くことになるのか。


少し考えると、実はけっこう奥深い話のような気がする。
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shira

 勝手な推測ですが、恐らくデキのいい私学の生徒は、努力対結果の計算も早いんじゃないかと。
 力ってのは、伸びれば伸びるほど「さらに伸ばす」ことが大変になるんです。
 テストで言えば、20点の教科を40点にするのは割と簡単です(塾なんかの宣伝で「◯◯点アップ!」とか言ってるのは大体このケース)。ところが40点を60点にするのはそれよりも労力が必要で、60点を80点にするのは相当大変。ましてや90点を95点にするには、20点を40点にすることの何倍もの労力が必要です。上に行けば行くほど、積み上げるのは大変になる。
 スポーツだと、よく「世界で闘えるのと、世界で勝てるのは全然違う」って言いますけど、それと似ています。
 そう考えると、「ここ一番の必死の努力」ってのはソロバン勘定としては労の割に益が少ないから、あんまりやる価値がないと思っちゃう生徒はいるんじゃないでしょうかね。
 
by shira (2012-06-01 21:42) 

bashy0322

上に行けば伸びしろがなくなるのと同時に、難易度が高いだけに、伸ばしにくくなりますね。

苦手科目を手当てする方が早いというのは真実ですね。伸びしろになる点数も大きいですし。

馬鹿になって努力すると言うことはばかばかしいと思っているからかどうかしりませんが、あとがない人は馬鹿になって努力するしか選択肢がないのも事実ですね。その他の選択肢があるのは幸せなことですね。
by bashy0322 (2012-06-03 08:50) 

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