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前提となる教養・教科書とリアルの間 [超個人的感想]

最近、いろいろな講演会に出没している。

昨年も行ったが、今年も平和について考えさせられる集いに参加した。生徒も一部連れて行った。といっても、現地集合だったが。

戦中のこと、敗戦直後のことは、なかなか歴史的な理解がないと難しい。けっこう沢山の話を聞いているから、何となく話がわかるが、生徒の方は「何のことやらさっぱり」のようだ。無理もない。

教科書で学ぶ機会がただでさえ減った。内容も減った。学力も下がっているとなれば、教科書で学んでいたところで、わかることが難しい。

おまけに、話し手になる方の記憶が少し曖昧なところがある。しかも、当時の地方名を並べたところで、なかなかぴんとくる話でもない。ここは丁寧に説明をしなければならない。


小学校の時に社会科で日本の歴史を学んだときには、ある特定の歴史の一部を切り取って学ぶことが多かったが、そのとき、何故このような歴史になったのかを担任の先生はずいぶんこだわって説明してくれたことを覚えている。「別に覚えればいいじゃん」と思ったりもしたが、ここで必要なのは、ある出来事とある出来事をつなぐ事柄が何なのかを知ること、理解しようとすることは、思いのほか、記憶を強固とするという意味において、また物語が定着するという意味において重要であるものだと思うのは、私が教師になったからであろうか。

戦争の体験や敗戦時の出来事を熱心に話してくださる方はパワーポイントやスライドを使ってくれるわけではない。しかし、言葉を理解してその事柄を物語として理解するためにはその背景になっている出来事が頭に入っている、いわゆる教養がなければならないということ、加えて、それをつなぐための想像力が必要で、それには相当な人間力が必要であるのだ、ということを最近痛感している。点数に現れる能力ではないのかもしれないが、生きる上で必要不可欠な能力であると思う。
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