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結果がすべて [超個人的感想]

センター試験が終わった。あと来年1回でセンター試験も終わりだ。

今の子どもたちはセンター試験の結果をどう思うのだろう。私は今の子どもたちではないので、想像してみることにした。

中学校から高校に上がるために重要な参考にするものとして、調査書がある。その点数と当日に入試でとった点数があり、そこで合否が決まるのが、今のだいたいの高校受験の様子ではないかと思う。

最近は、絶対評価になった関係から、学校によっては点数が甘めに出ることもあるだろうし、辛めになる場合もあるだろう。もともと相対評価だった時代も学校のレベルが高ければ、同じ成績の生徒が低く成績が出る場合もあるわけだし、この点数がどこまで信じて良いのか、わかるようなわからないような,ということになってくると言える。

それはシステム上の話なので、誰が良いとか悪いとか、という話ではない。

高校入試でいえば、当日の点数は、問題がきちんとしているかどうかということもあるだろうが、その実力がきちんと反映されているものとしかいいようがない。

ということではいえば、「点数がすべて」というのが結果としてしっくりいくことになる。
でも、人間性というもあるのだから、そこはどうするの?という話にもなる。ここが話をややこしくしている。人間性を点数化することなんてできるのだろうか?という話の中で曖昧になってしまう。

センター試験は、そこは実にハッキリしていて、まぐれ当たりがあるのかもしれない。とは言え、1つの結果である。数値で明快な答えがでる、ということだ。

子どもたちがそのようなことに慣れていないとしたら、この結果をきちんと受け止められないかもしれない。たぶん少子化の時代、大事に育てられていることによって、結果をきちんと受け止められない場合が多いのではないか。これまで生きてきた中で、結果の話が曖昧になっていたとしたら、なおさらだ。


センター試験の点数は、その人の人間性が良いか悪いかを計っているわけではない。その科目の今の点数がそうだった、というだけである。でも、そこはきちんと受け止めるべきだな、と思う。良かった人は、何が良かったのかを考えて、次につなげるべきだろうし、悪かった人は、その人の取り組みにおける問題点があったのならば、そこは受け止めるべきだろう。それは次の問題である。

センター試験という試験形式なり問題の内容が良いのか悪いのか、そういう話は別の話として、結果が逃げも隠れもできない状態で出てきたときに、どのように受け止めるべきなのか。そういう経験は人生の中に一度や二度はあった方が良いと思う。

一人一人を大切にするあまり、その人の1つの尺度を「人間性」という括りで論点をずらしてきちんと見せないようにするのは、当人の今後の人生にとってあまり良いことではないと思う。

そういう経験が少子化の時代に減ってきているのは、この時代に生まれた人たちが悪いわけでも何でもないが、少し気の毒に思う。大人になって急に「結果がすべて」の世界に投げ込まれたとき、挫折してしまうのではないかという心配をしてしまう。
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