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主要5教科以外と他教科の存在感

主要5教科という言葉をいうと嫌な顔をする人もいる。言うまでもなく、主要5教科とは、国語、数学、理科、社会、英語のことである。

それ以外の先生方はどのような思いでいるのか。私も情報の教科を教えることになったので、少しその気持ちを垣間見ることができる立場になったと言える。そういう意味では、私はメインは主要5教科、サブは「以外」の方に属する。

これは、受験というくくりにどのような立場で遭遇するかによると思う。要するに、進学校なのかそうでないのかということでけっこう変わってくるように思う。

進学校の場合には、やりがいがあるという意味において、立場が若干上ということになるのかもしれない。「以外」の先生方は定期テストでも、ないがしろにされ、あまり大事にされないのかもしれない。逆の言い方をすれば、意識高い系の先生であれば、それならそれなりの存在感を醸し出すことができると言えるが、そうでなければ、教師としては単なるサボり魔になることも可能なのかもしれない。まあ、普通そういった教育実践をするような先生が進学校に行くことは難しいとは思うけど。

進学校以外となると、推薦依存型になるとすると、要するに、数学の評価も情報の評価も同様の扱いを受けるわけだから、それなりに存在感が出てくる。数学の授業となれば、世間一般的に嫌な教科の代表格という位置づけとするなれば、その他の科目の方が実習的なものがあればあるほど、生徒の食いつきは良いのかもしれない。立場は一気に逆になるのかもしれない。

要するに、主要5教科という言葉はあまり意味をなさないのかもしれない。

そんなことを考えながら、最近Youtubeで動画を見ていると思うことなのだが、特に芸術系の力を持っている人の才能が活かされる場所が少なくとも学校という社会の中での存在感のなさは残念だなあと思う。

Youtubeで動画を見ていると、音楽を弾いている人たちの存在感は絶大だと思う。あの一芸に秀でている人たちが稼ぎ出している存在感は、学校社会ではそれほど評価されていないのではないか。ちょっともったいない。
また、先日、LINEスタンプ作りをしたときに感じたのは、絵を描くことができる生徒の存在感である。この存在感も、学校社会というくくりの中では評価が高いとは言えない。でも、もしも自分に絵心があって、コンセプトを突き詰めて考えることができるとしたら、これも存在感を出すことはできるのではないかと思うのである。

もうちょっと、学校という社会の中で、特に芸術的なものの存在価値が上がってもいいのではないかと思う。これは、日本社会が芸術的なものをそれほど重視していないということの反映そのものなのだと思う。私自身がそういうことがそれほど得意ではないのでなおさら感じることなのかもしれない。
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