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強制と自主性のあいだ [超個人的感想]

誰も強制はしたくないさ。

教育界は消耗戦を展開している。最近は、人権という言葉の中で強制はいけないという論を展開することが増えてきたように思う。ただ、一方で、強制してほしいという意見があることも確か。その間に立たされる存在、それが教師・・・。

そんな展開になることが増えると、こちらも消耗してしまう。最近は、教師の現場の悲痛な叫びのような話がニュースで聞くようになったが、ある意味ニュースをきちんと見る人はわかるかもしれないが、実際問題そういう人ばかり世の中に存在するかと言えば、そうでもない。ニュースを見なければ、え?そうなの?みたいなことも多いように思う。

教師も別に強制したいわけではないが、家庭が強制したくても強制できないところで、困って学校に相談するような場合もあるのかもしれない。人権に配慮したことを求められる隣の生徒は、非人道でも何でもいいから更生してもらいたいという生徒なのかもしれない。そんな人たちがさまざまいるような多様化の中で一体どうしたらよいのか・・・。

ある意味、究極的な展開は、通信制課程のような学校なのかもしれないな、と思うことはある。比較的強制されることが少ないので、ある種人間らしい生活を送ることができる。ただ、あまりにも強制されないとということの中で、全日制が求められるということもあるのだろう。ある種の同調圧力のようなものなのかもしれない。

人間の永遠のテーマのように思う、自由と強制。今は強制しにくい時代が来たように思う。正直私は強制されなくても物事を進められるタイプなのだが、そういう人間からすると強制は息苦しい。ただ、そういう人間は多分少数派だと思うので、結局は強制しないといけない人が多いようにも思うのだが。時代は自由を目指している流れのように見えるが、実際はどうなのだろう。

そんなことを考えながら、最近生活している。
学校の先生のなり手が少なくなるわけだ。
答えのない答えを模索するのにも限界がある。自分の気持ちにうそをつけばメンタルは壊れる。よほどうまく立ち回れる人じゃないと、この矛盾した状況に適応することは難しいと思う。
お金をもらうためだと毎日のように念じて仕事をするくらいなら、その前に、別の仕事を選んだ方が良いのだから。
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