仕事にプライドを持つ事とをそれを阻む日本の流れ [超個人的感想]
久しぶりに風邪を引いてしまった。ぐんぐん熱が上がり、一時、39℃近くになった。
インフルエンザかと思ったが、インフルエンザではなかった。
毎日が修羅場の私は、ちょっと大きな会の50周年祝賀会の司会をして、精神的にプツッときたらしい。
前回インフルエンザの時には、生徒会顧問だったので、生徒会行事崩壊の危機かと思ったが、何事もなかったかのように行事は滞りなく終わったのであった。
大きな所帯であれば、ある人が倒れれば、ある人が補うということが上手く機能するはずだ。
しかし、残念ながら、人数が少なければ少ないほど、倒れた人を補うのが難しくなる。
その結果、かなり人員的に厳しくなるのが実情だ。
今度は市民を取り巻いての大きな行事が行われる。今度は、20周年の行事。
インフルエンザだとさすがにこの行事の運営は困るだろう。ただ、卒業式の裏方から大きな行事に至るまで、運営全体の裏方を任されるが、丸投げされるだけで、感謝の言葉があるわけでもない。私は単なる組織のコマの1つでしかない。
でも、誰かから期待されることがなくても、自分で自分を褒めるしかないのだ。
誰かに褒めて貰いたいと思っても、それは期待することができないこともあるだろう。
そういうときには自分で自分を褒めるしかない。
自分で自分を褒めることができるかどうかというのも精神力を強く保つための大事な条件なのかもしれない。
たとえ、つらいことがあったとしても、この仕事に誇りを持ってやっていくことができる仕事をすることが出来ることは幸せなことである。誇りを持てない仕事であれば、そんな価値もないのだろうが。
誇りを持つことができる仕事をする日々を送るのは幸せなことである。
そういう意味では、今、話題の日の丸・君が代で戦っている方々は恐らく仕事が出来る方々なのだろう、と思う。
全員が起立するような場所で自分だけ起立しないと言うのはなかなか出来ることではない。多くの人は、「みんな立っているからあなたも立ちなよ」という目で見るだろう。いろいろなことを言われることを分かっていてもそれでもしなければならないことがあるということを知らなければならない。
自分の信念に基づいて行動することが出来るというのはよほど自分の信念をきちんと持って貫かなければできないことである。その精神を理解しようとする姿勢がなく、逆に「辞めればいい」と平然と言ったり、他者への尊重がないとすれば、日本は物質的には豊かであっても、精神的には極貧状態である。
そういう人たちを高圧的な姿勢で出来ないようにするというのはいかがなものなのだろうか。
加えて、世の中には、言われたことしかしないサラリーマン教員が増えてきているが、その増加が大きな損失になることが分からない人が上に立つべきではない。
しかし、それを容認する社会になってきているというのがそれに輪をかけて悲しいことである。思考停止社会。戦後教育の1つの形が具現化しようとしているということなのかもしれない。
インフルエンザかと思ったが、インフルエンザではなかった。
毎日が修羅場の私は、ちょっと大きな会の50周年祝賀会の司会をして、精神的にプツッときたらしい。
前回インフルエンザの時には、生徒会顧問だったので、生徒会行事崩壊の危機かと思ったが、何事もなかったかのように行事は滞りなく終わったのであった。
大きな所帯であれば、ある人が倒れれば、ある人が補うということが上手く機能するはずだ。
しかし、残念ながら、人数が少なければ少ないほど、倒れた人を補うのが難しくなる。
その結果、かなり人員的に厳しくなるのが実情だ。
今度は市民を取り巻いての大きな行事が行われる。今度は、20周年の行事。
インフルエンザだとさすがにこの行事の運営は困るだろう。ただ、卒業式の裏方から大きな行事に至るまで、運営全体の裏方を任されるが、丸投げされるだけで、感謝の言葉があるわけでもない。私は単なる組織のコマの1つでしかない。
でも、誰かから期待されることがなくても、自分で自分を褒めるしかないのだ。
誰かに褒めて貰いたいと思っても、それは期待することができないこともあるだろう。
そういうときには自分で自分を褒めるしかない。
自分で自分を褒めることができるかどうかというのも精神力を強く保つための大事な条件なのかもしれない。
たとえ、つらいことがあったとしても、この仕事に誇りを持ってやっていくことができる仕事をすることが出来ることは幸せなことである。誇りを持てない仕事であれば、そんな価値もないのだろうが。
誇りを持つことができる仕事をする日々を送るのは幸せなことである。
そういう意味では、今、話題の日の丸・君が代で戦っている方々は恐らく仕事が出来る方々なのだろう、と思う。
全員が起立するような場所で自分だけ起立しないと言うのはなかなか出来ることではない。多くの人は、「みんな立っているからあなたも立ちなよ」という目で見るだろう。いろいろなことを言われることを分かっていてもそれでもしなければならないことがあるということを知らなければならない。
自分の信念に基づいて行動することが出来るというのはよほど自分の信念をきちんと持って貫かなければできないことである。その精神を理解しようとする姿勢がなく、逆に「辞めればいい」と平然と言ったり、他者への尊重がないとすれば、日本は物質的には豊かであっても、精神的には極貧状態である。
そういう人たちを高圧的な姿勢で出来ないようにするというのはいかがなものなのだろうか。
加えて、世の中には、言われたことしかしないサラリーマン教員が増えてきているが、その増加が大きな損失になることが分からない人が上に立つべきではない。
しかし、それを容認する社会になってきているというのがそれに輪をかけて悲しいことである。思考停止社会。戦後教育の1つの形が具現化しようとしているということなのかもしれない。
2012-02-29 19:00
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コメント(5)
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わたしは、成人してから一度も「君が代」を起立・斉唱したことはありません。座ったままです。札幌市の場合は、それで処分されることはありません。周りも、無視していますよ。
by tyuuri (2012-03-01 17:34)
東京でも大阪でも、日頃の仕事とは完全に切り離して式典のわずか数十秒の行為だけを職務命令し処分対象としています。してみると、日頃の仕事は水準以下でも式典で命令に従える人間は生き残って、その正反対の人間は処分を喰らうということが起こりうるわけです。いいんですかねえ。
by shira (2012-03-01 20:43)
おはようございます。裏方仕事の最盛期を迎えております・・・本日勤務校は卒業式です。
>tyuuriさん
私も、tyuuriさんに勤務校が知られている身ですので、ご存じかもしれませんが、処分されるような行為をそもそもしておりません。ただし、将来的には、そういう学校には補助金を出さないという脅しをかけられかねないのが大阪府なのです。そこに非常に大きな危惧を持っていらっしゃるようです。それは脅し以外のなにものでもありません。
>shiraさん
いいというのが、話題の地域での見解なのですよ。そういう人たちを選ぶ人たちの責任もありますね。その先にあるものは何なのでしょうか・・・。私もよくわからないですが、行く末が気になります。知り合いの先生方も多いので。
by bashy0322 (2012-03-03 06:24)
「世の中には、言われたことしかしないサラリーマン・・」
これ今進んだ企業が懸念しているそうですよ。就活学生見てもこういう学生が増えたとぼやいてるらしいです。
何人かの学生と自由について話し合ったんですが、みんな揃って自由は不安なんていってました。
by ayu15 (2012-03-05 09:19)
>ayu15さん
世の中がそういう流れになってきているのはある意味必然です。考えることをやめた時代。それは学校から始まっているといえます。
生徒の指導で1番グレードが高い指導は「自分で考えろ」です。多くの人たちはそう言われると途方に暮れます。
そこで自分で考えて実践することができる生徒は高校生にはあまりいないのではないでしょうか。
by bashy0322 (2012-03-06 07:41)