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「放置」と「面倒見が良い」のあいだ [超個人的感想]

公立と私立の違いは、いろいろなところである。「私立は面倒見が良い」といわれる。

ただ、私立高校に勤務しているとは言え、出身は公立の先生方が多い。周りにある学校の数が圧倒的に効率が多いのであるから、そうなるに決まっている。

多いところで、面倒見が良いというのは文化がそうであるから、そこの中にいる教育も必然的にそうなっていくのだろう。

面倒見が良い学校というのは、確かにその通りである。ただし、あまり面倒見がよすぎると、生徒の自主性は育たない。自主性が育たないということは、「言われたことしかやらない」とか、「人の話を聞かない」とか、自分から働きかける力が欠ける傾向が出てきてしまう。

そして、多くの公立の学校を卒業した先生方からすると、それが違和感につながっていく。「高校時代って、こんなに手取り足取りだったっけ?」

中には、公立高校では「放置」だったという声も少なくない。時代が変わったし、人間の記憶の話なのでどうだったのかと言われると、必ずしもそうではないとは思いつつも、もっと自分で考えさせるところがあったようにも思える。生徒や保護者からすると、面倒見がよいというのは聞こえは明らかによいし、生徒にとっては明らかに楽なシステムになるのだが、あまりそれを突き詰めすぎると、生徒が育たない結果になってしまう。

自主性が育たないと言うことは、受け身の勉強につながっていく。「周りが勉強するから勉強する」あるいはその逆になっていくのである。

かといって、私学は放置にするような勇気はない。放置する学校ということであれば、たぶん、ほとんどの学校は成り立たないだろうし、公立と同じであるのであれば、その学校に存在意義はない、ということになっていくだろう。一部の進学校を除けば。

ということで、「放置」なのか「面倒見がよい」のか、これは、両極端のどちらかで語られるものではなく、このバランスをどこに取るのか、ということにかかっているのだろう。ここには、教員の労働環境のことや言うことを聞かない教員の有無など、様々なファクターが絡むはずなので、それほど単純な話にはならないのが実情である。
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shira

 放任でトラブルがないのはごく一部のハイレベルな高校だけじゃないでしょうかね。
 私の母校は大変に生徒の面倒見の悪いところでしたが、担任の先生はわりとあれこれ世話を焼いてくれて、私はそれをとても感謝しています。だから私は生徒にあれこれ世話を焼くのが好きです。
 それとは別に私学の大きなメリットは、人事異動がないので、恩師が10年以上経っても勤務していることでしょうか。「母校は母港」なんてことを言う人もいまして、自分の母校は、卒業後の自分の成長を確認するために時折訪れる「変わらない」場所であって欲しいという希望はけっこう大きいと思います。
by shira (2014-01-19 20:56) 

bashy0322

コメントありがとうございます。

私立高校でも、最近は、専任教員ばかりではなくなってきているので、気がついたら担任が辞めているということも多くなってきましたね。ノスタルジーあふれる場所というのは、どこの業界も競争の中で少なくなっていくのでしょうか・・・比較的もといた先生がいる可能性は高いとは思いますが・・・。

以前書いたことがあるかもれしませんが、試験範囲表を出すか出さないかとか、毎週の時間割を配るとか配らないかとか、結構いろいろなところで担任の温度差があり、どうなのかなあ、と思うことか多いです。結局はバランス感覚なのでしょうけど・・・。
by bashy0322 (2014-01-19 23:45) 

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