不眠不休の思い出 [勤務校関連]
最近、ブログの更新が遅くて申し訳ないが、3年生担任なので勘弁してほしい。
3年生担任で一番つらかった思い出は、標題の通り、不眠不休だったときのことだ。調査書と推薦書が山のように押し寄せてきて、書き方も満足にわからない私は、体力にものを言わせるしかなかった。
結果、学校で推薦書を10枚、1日で仕上げて、一睡もしない徹夜、次の日が登校日で普通に授業をして、その日も、まだ推薦書が間に合っていなかったので、さらに2日目も一睡もしないで午前4時まで推薦書を書いたことがある。学校に住み込み状態であったが、その次の日、願書を出しに行ったことを覚えている。
人間、寝ずにどこまで行けるのかという限界に挑戦した感じだった。
こんなことを書くから、私学はブラック企業的なイメージがついてしまうのだろうが、公立高校の人たちからすればあり得ないことなのだろう。
20年間の教員生活の中で9回目の卒業生・・・これもまた、公立ではあり得ないことだろう。
さて、今日も調査書を作ろう・・・。ということで更新が遅れがちで申し訳ない。
3年生担任で一番つらかった思い出は、標題の通り、不眠不休だったときのことだ。調査書と推薦書が山のように押し寄せてきて、書き方も満足にわからない私は、体力にものを言わせるしかなかった。
結果、学校で推薦書を10枚、1日で仕上げて、一睡もしない徹夜、次の日が登校日で普通に授業をして、その日も、まだ推薦書が間に合っていなかったので、さらに2日目も一睡もしないで午前4時まで推薦書を書いたことがある。学校に住み込み状態であったが、その次の日、願書を出しに行ったことを覚えている。
人間、寝ずにどこまで行けるのかという限界に挑戦した感じだった。
こんなことを書くから、私学はブラック企業的なイメージがついてしまうのだろうが、公立高校の人たちからすればあり得ないことなのだろう。
20年間の教員生活の中で9回目の卒業生・・・これもまた、公立ではあり得ないことだろう。
さて、今日も調査書を作ろう・・・。ということで更新が遅れがちで申し訳ない。
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