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総合型選抜の憂鬱 [超個人的感想]

総合型選抜の面倒をひたすら見ている。どうやら一番早いのが9月1日から受け付け開始のようだ。

これだけの生徒の面倒を日本全体で本当に見ているのだろうか?ということで言うと、正直、総合型選抜の面倒を見ている学校はあまりないのではないかなと思う。なぜなら、これを指導するということは、言い方を変えると落ちるリスクも高めることになるからである。他人の人生の責任を負うことは嫌だと考えれば、「各自頑張るように」となってもおかしくない。でも、私はそれを見ているわけだ。

放送部顧問として痛感してきた「高校生らしさ」という言葉がまた頭をもたげ始めた。

生徒の文章の書き味は、インターネットからとってきた言葉のつぎはぎだったりすることが多い気がする。言い方を変えると高校生らしさが失われている気もするのだ。みずみずしい部分をきちんと生かしながら指導に生かすのは、確かに非常にリスキーな行為であると思う。

そんなこんなでまともにすれば膨大な作業が必要となる。そのために夏休み中に国語でも社会科の教員でもない自分で新聞を読みながら研究を続けてきたわけだ。

総合型選抜のいいところ。

中途半端な学校で評定値ばかりやたら高い生徒は、本当は勉強は大したできないのだろう。そういう生徒はそれなりの大学では正直来てほしくはないだろう。そういう生徒を一般受験で確保することが難しいところ、総合型のような受験方法があれば、進学校の中で、評定はよくないが考え方がしっかりとしている生徒をきちんととることができる。そういう意味では、偏差値がそれなりの大学にとってはいい生徒を取ることができるいいシステムになるのだろうなと思った。

実力主義の生徒が比較的レベルが低いが評定が高い生徒との勝負に勝つことができたほうが良いという社会づくりをしたければ、英検2級がマストの条件を課すなどの方法で総合型で合格を目指す方が受験としては平等かな、と思うのだ。
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