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雑用 [超個人的感想]

教室に誰もいなくてもやることはたくさんある。

リモート授業を行うと、究極的には生徒が誰もいなくなることがある。リモート授業をどのような形で行うかにもよるだろうが、パワーポイント的な画像を共有する授業であれば、配信側がどこから行っても問題はないのだが、教室からライブ授業を見て学ぶ形の場合には、結局、後片付けをする人が必要となる。

誰もいないので片付けるのはそこの責任者となるわけだ。そういった雑用が発生する。教員の雑用は多岐にわたるので、それだけでもそれなりの負担がかかるわけだ。掃除、課題の整理、配布、回収、場合によってはリモート面談など、挙げたらきりがない。

リモート授業とは言っても授業は授業なのだから、準備は必要なわけで、結局それは通常の負担とはあまり変わらない。

いつまで続くのか、この毎日。長期戦の様相を呈してきた。
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練習の毎日

山のいろいろを練習している。

山でご飯を作る、山で止まる、ハードな山を登るなど、課題はあげるとキリがない。

山の魅力は、普段だと考えることができない、生きるために必要なものとはなんなのかを考える機会があることなのかな。生きるためには食事が必要だとか、水の大切さとか、そういうことは家にしてもなかなか知ることはできない。そこから発見があるのだと思う。

最近は空前のアウトドアブームである。アウトドアでは密のストレスから解放されるということで人気という面もあるということだが、確かにそういう側面もあるだろうが、定着するとこのブームは続くのかもしれない。こういう時代だから、違う場面で生きるとは何かを知るきっかけが生まれるのかもしれない。

さて、練習に行こうか・・・。
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多様な価値観を受け止める

教育は価値観の強制であるというのは過去の話になっていくのだろうか?

過去の先輩の先生方に言われた言葉で印象に残っている考え方だが、今となっては、多様な価値観、ダイバーシティという形に取って代わっていく時代なのかもしれない。

ふとしたことで考えるに至った。
勉強をむやみやたらにされると言うことが正しいことなのかどうなのか、時代遅れという話もあったけど、となれば自発的にそういう気持ちになるように促すような形に持って行くということになるのだろう。そういった形をどのようにして作り上げるのか、教育というのは自分が受けた教育が1つの形になっていることが多いわけで、社会が劇的に変化するのは難しいことだが、今回のコロナの件で一気に変革が求められたのは間違いない。

いくらこちらの思いが強くても、パソコン上の画面越しだとなかなか思いも伝わらないだろうし、と考えると、何かをさせるということが物理的にも難しい中で、否が応でも、そういう指導のあり方について考えさせられることになったようにも思う。

自分で自分の時間をどのように過ごすのか、オンライン上では、画面の向こうでどのようなことが展開されているのかを知るよしもない。そういった中で、本人達が万人に平等に与えられている時間をどのように使うのか、気持ちを奮い立たせて勉強するのか、はたまた、目の前にある楽しいことに興じるのか、それは本人達が考えることでしかない。そうした価値観の強制が行き届かない中で学校はどうあるべきなのか、「多様性」というキーワードの中でしばらく思いを巡らせようと思った。
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zoomとgoogle classroomで大混乱? [超個人的感想]

いろいろな学校で最近よく聞く話。

急速に広まったこの2つのソフトを使いこなすための技術が不足しながら自転車操業。多くの学校がこの現実に直面していると聞く。

やり方の研修会などもすでに行われる様子もなく、「勝手に勉強してくれ」状態で、勉強する人としない人の格差が広がっていく。私も若干置いてけぼりを食ってきている。

仕方がないので本を購入して勉強を開始、どうにか追いつこうと必死である。

この状態で露呈したのが、パソコンやデジタル機器が苦手な特にシニア世代の教員であろう。新しいことを学ぼうとする気持ちが足りないというか、ない人も少なくない。心の中で『何でこんなことをこの年齢で勉強せにゃならんのだ?』というのが吹き出しとして出ているようである。

コロナの接種の関係でスマホでワクチン接種ができない予約ができない高齢者の方を想像してもらえればわかるだろう。スマホを使いこなそうということ自体が無理なのであろう。企画する側はスマホを使ってやってほしい。でも無理、ではどうすれば?みたいな図式である。教師も似たようなことを言っている人たちもいる。教える側で給料をもらうのにそんなことできないの?と思うかもしれないが、本質は同じ。「にんげんだもの」ということなのだろう。教員も再雇用の方とか、定年が延長になってくれば、教員集団の平均年齢も上がってくることだろう。

新しいことに対応する気持ちが持てない先生をその気にさせるのは容易なことではない。

そして、そのゾーンに近い年代になりつつある私も、少しその気持ちがわかりつつあるようで少々さみしい。もちろん私はあらがう側の人間ではあるなので、本を買って勉強しているわけだが。
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倒産 [超個人的感想]

近くのお店が営業を終了した。

これまで四半世紀の歴史をほこるお店だっただけに、少しショックだった。

日本各地でこういった出来事が起きているに違いない。生活が成り立たなくなってしまう人たちも出てくるに違いない。

こんなことにどうしてなってしまったのか。閉店のコメントには力不足などの言葉が書かれていた。そんなことでもないだろうに。今をどう生きるか、その見込みも立たないような業界の方がまずはいい形で立て直せるといいと思う。

コロナの影響が社会に与えたインパクトは強いが、この後どうなっていくのだろう、そうした不安の方が大きくなってきた。自分の人生の中では、将来のことは考えても仕方がないと思いつつ、その不安を拭えたことがないのかもしれない。もう少し楽観的に生きれればいいのに、と思うことはよくある。ただ、今苦しんでいる人たちのことを考えれば、この悩みは贅沢な悩みなのだなと思う。
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録音 [超個人的感想]

この話、録音されている?

こういう雰囲気を察することがある。今や、教師と生徒との間の話も録音されていると考えるのが妥当である。他校の先生方がそんな話をしていたことをときどき思い出す。

リモートの授業になって、技術的には、授業中の映像を録画することも可能になった。自分が技術的にできることであれば、生徒も当然できることだろう。

まあ、身の危険が予測できれば、自分も録音するから、人のことは言えないけど。

そんなことを意識しながら出ないとやりとりできないという話も少し悲しい気もするが、これも時代の流れというべきだろうか。

将来、教員になりたい生徒は辞めた方がいいとつくづく思うんだけどなあ。ブラック指数半端ないし。
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山菜がわからない [超個人的感想]

山に登ると、近くには山菜採りの方々がいらっしゃる。

多分目の前にはたくさんの山菜があるのだろうが、どれをどのように採れば良いのやら。そんなことを考えながら、数年が経ってしまった。山菜シーズンは過ぎてしまったが、いつか山登りと山菜採りをセットにしたいという思いだけは持っている。

とはいえ、仮に山菜をとったとして、今の自分にはそれを調理する時間があるのだろうか・・・。でもまあ、死ぬまで仕事をするわけではないので、いつかチャンスが来るはず。その時には山菜ライフを楽しみたいという思いだけはきちんと持っておこうと思っている。

ただ、昨年度偶然見つけてとったタラの芽が物凄く美味しかった、その記憶だけは強烈に残っている。あんなのが食べられたら、そりゃあ病みつきになるわな。それほど時間がかからない程度に山菜が取れるノウハウがあればとか、そんなに甘くはない・・・。

子供の時には、地元でわさびとかふきとか、いろいろなものをとった思い出はあるけど、どのようにしたかはすっかり忘れてしまった・・・。そんな記憶があるからか、すっかり自然と戯れる生活が定着しまっている。子供の時の経験は無意識下に強い影響があるのだろうな。
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壊滅的ダメージ

コロナ禍での勉強保証は結局生徒頼み。

生徒が目の前にいるわけでもないから怒りつけることにもあまり意味がないですし。どこの学校でもあるあるなのでしょうが、オンラインには限界がありますね。

結局、「勉強は自己責任で」ということになって、授業動画を垂れ流しして済ませるということになるのでしょうか。去年と今年の世代の人たちは、自己責任をキーワードとして勉強させなければならないというのが大変残念です。

そんな状況下で「結果を出せ」と言われても困ってしまいます・・・。
全国のやる気のある先生方の中ではそういう歯痒い思いをしている人たちも多いのではないでしょうか。

せめて目の前にいてもらわないと指導にはなりません。目の前に一人するのと一人もいないのとでは状況が違うことも身を持って痛感しました。
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雲をつかむような授業 [超個人的感想]

授業に出ているかどうかもわからんし、何をしているのかもわからん。

日本全国各地で展開されているであろうオンライン授業。やっているような話も聞くが、実際のところは、Wi-Fiが導入されただけとか、機材が入っただけのような話も聞く。結局そこまで回っているようにも思われない。

しかし、時代の最先端を行くべく、自分はとりあえずオンラインで授業をしている。昨年末に購入した機材を片手に授業に出向き、顔を見ずに淡々と授業をしていく。

でも、本当に授業に参加しているのだろうか?
これが多くの先生方の感想であることを知っている。
それを確認することは事実上不可能である。
従って、教師からすると授業を行為としてはしているわけだが、生徒がそれに参加しているかどうかはわからない。画面の先では、家でゲームをしているかもしれないし、寝ているかもしれない。確認することはできないのである。それでもこれをすると言うことは、する側からすると、実力がつくかどうかは別としてするという行為に仕事上の意味があるということでしかないのかもしれない。

他校の先生方も含めてそこは割り切って授業をしているということになるだろう。

でも、考えてみれば、普段の授業もそうかもしれない。頭の中では別のことを考えているかもしれないし、眠っているかもしれない。こっそり別のことをしているかもしれない。

でも、内容は着実に少しずつ進んでいく。

最新の道具で最新の授業をしていたからといって、所詮は、勉強するための道具でしかない。生徒達が勉強ができるようになるかどうかは、本人達の気持ちにかかっている。それを超えるものではないことは確かだし、オンラインでできることは対面で行う授業以上には到底ならない。それは間違いない。
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修正液がない

自前なのが普通なのだろうか・・・。

ビジネス書に企業で働く人間のメリットという話の中でそういったものは会社から支給されるものだと書いてあったので少し粘ってみた。しかし、残念ながらそういったことではないようである。

自腹で修正液を買わないと、直さなかった自分のミスになってしまうという話。修正液がない職場はノーマルなのかどうなのか、この職場しか知らないのでよくわからないんだよな・・・。

仕方がないから買いに行ってくるかな・・・。
けっこうそういう持ち出し系が多いのだが、必要なものはあってほしいなあと願う。
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