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T-GAUSSという問題作成ソフト [教科(数学)指導者として]

高校の教科書業界は、チャート式の数研出版ばかりかと思われているかもしれないが、そうではない。東京書籍との争いになっている。他のところは少し水をあけられている感じだ。

数研出版のstudyaidという問題作成ソフトで、業界に革命をもたらした数研出版を追随したい東京書籍が放ったソフトが、この「T-GAUSS」という問題作成ソフトである。
T-GAUSS.jpg


この手のものというのは、基本的に後発隊の方が、アイディアなども良いはずなので、良いものを出すことが多いと思いきや・・・インストールしてみると、それ以前に、めちゃくちゃ重いぞ!

私のパソコンはそれなりに動くと自負していたが、その私のパソコンで動きが遅くなるほどなので、なかなかのものである。私の使い方が悪いから・・・なのか?

ソフトの使い方を複数覚えるというのもなかなか辛いものがある。どちらかにしたいところではあるが、数研出版の問題集にはないものもあるので、マルチに使いこなしたいという思いもあるのだが・・・。

現状は、数研出版の方が正直1枚上手のようだ。

追記


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30年前と今の偏差値表 [教科(数学)指導者として]

大学入試の偏差値表が教室の壁に貼ってある。どこの学校でもある光景である。

この業界の方ならばほとんどの人がそう思うだろうが、ほとんどの学校の偏差値は30年前とは変わってはいない。位置どりも何もかもである。トレンドで上下するものもあるが、基本的には変わってはいない。

こうして考えてみると、大学の方々の努力というのはいったい何なんだろうかという気持ちになってくる。

同じようなことがたぶん高校などでも起こっているのかもしれない。

ただし、それは今の努力があって保たれている位置なのだろう。

それを変えるというのは並大抵の努力ではかなわない。一種の革命でも起きないといけないのだろうね。
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失敗をすること・させること [教科(数学)指導者として]

自分の課題を見つけて、それを自分で問題解決をするためには、何事も自分で考えるというように持っていくことが一番である。多くの小学校に「自ら進んで学ぶこども」と掲げられているように、人間にとって永遠のテーマなのかもしれない。

そのために欠かせないのは、実は、「失敗すること・させること」なのだと思う。

世の中は結果を求めるあまり、あまり失敗をさせたがらないが、失敗をしないと成長できないこともある。

そういう場合には、相手に任せて少し失敗させてあげないと、気がつかないものである。失敗を通して自分のもっている思考過程の中の何かを変えないといけないと言うことに気がつくかどうかというのは、大切だ。

ただ、丸投げではなく、少しだけアドバイスをする。でも、全部すると考えないので、適度なところでやめておくのが秘訣である。そのさじ加減が非常に難しい。

数学の指導、生活指導、などなどなど・・・あらゆることに繋がることである。


指導者としては、全部教えてあげるのはとてもかんたんで、生徒も非常に喜ぶことである。言われたことをしているうちは、生徒は非難されることはない。そういう意味では、教師が至れり尽くせりで物事をすべてするのは、お互いにとって非常に楽なことではあるが、全部してあげることは、本人の成長にはまったくならない。指示待ち族には問題解決能力が備わらない。

ただ、大変困るのは、今のこの社会には失敗を認めるような体力があまりないことだ。遠回りだが、失敗をできる社会になることを願いたい。当然、わざと失敗するような行為は論外だが。
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本質を理解しない人間は暗記に走り、結果・・・ [教科(数学)指導者として]

受験生の天王山は、夏休みである。

夏休みを超えたところで基本的な力がどこまでついたのかが1つの鍵になる。

基本的な力がついたことを確認する場が、次のステップでくるからだ。

問題がわからないとき、「わからないから暗記してしまえ」という人はきわめて危ないタイプである。

話の本筋が見えていないからである。

その先応用が利かない。考え方がしっかりとしている人間は、わからない問題が出てきたときに、考え方を頭の中から引っ張り出してくるので、大崩れしない。ところが、暗記で乗り切っている生徒は記憶力頼りなので、曖昧になってだめになるか、応用的な話を振られてできなくなるのかのどちらかである。

こういう生徒は、必ず、過去問を解くあたりになってくると、よくわからないので問題まるごと解けずに暗記することになるが、その暗記は実は何の意味も持たない。同じ「ような」問題が出たとしても、まったく同じ問題ではないので、応用が利かない生徒にはできるようでできないのである。

かくして、受験をする前に、指導者側の心の中で浪人あるいは志望校をかなり落とすことがほぼ確定することになる。


浪人生に指導することも実は現役生と同じで、「夏休み明けまでに基礎を作れ」ということなのである。

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夏休み、天王山。高校野球真っ盛り。高校野球の地区大会で負けた受験生は、これまで培った体力を生かして逆襲に転じる時期である。
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数学の講習を自発的にする [教科(数学)指導者として]

別に頼まれているわけでも何でもないが、2次関数の最大・最小のところでは、講習が必要になることが多い。

定義域が変化せずに頂点と軸が動く場合と、グラフが変化せずに、定義域が変化する場合がある。


便利な時代になったもので、コンピュータで指導するといいことが多い。

数研出版のデジタル教科書で問題をクリックすると説明しやすいプレゼンテーション画面が出てきて、説明できるのである。
textbook1.jpg


textbook2.jpg


年によって、生徒の食いつき度は違うが、生徒はおおむね食いつきがよい。

アニメーションで動く世界で説明できるとは考えていなかった。技術の進歩を教育に使えるようになるとは・・・大学で学んでいたのもせいぜいbasicであった。

そろそろ、ipadでこのグラフの動きについて説明できるようなソフトが出てこないかと期待している。時間の問題のようにも思えるが。
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「工夫して計算しなさい」の意味するところ [教科(数学)指導者として]

数学の問題のなかには、独特の言い回しをする問題がある。その代表格が、この言い回しだろう。

「先生、工夫ってなんですか?」

自習監督に行っている私に、生徒は素敵な言葉を投げかけた。

「工夫とは、あれこれ試して見ることだろ?」

初歩的なことを聞くものだと思いつつも、よく考えると、ちょっと奥が深いかもしれないと思った。そもそも、工夫という言葉を入れなければならない理由は、あるのだろうか。

工夫することは当たり前だからである。でも、この文言をいれるということは、これまでの考えよりも深く考えなさいよ、ということである。

数学の問題は工夫して解かなくても、ある程度は解ける、ということなのだろうか。

そうだとしたら、数学の面白さもずいぶん勉強用に削り取られてしまっているということなのだろうな。
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理系で国語ができる人間は強い [教科(数学)指導者として]

文系・理系を決める決定的要素は、数学ができるかどうかと思われるかもしれないが、もう一つの尺度として、私は国語ができるかどうかを強く推したい。

数学が強いのは当たり前の話である。センターで圧倒的な点数を取れる科目という位置付けになっているので、上位層は満点に絡みたいところである。ただ、国語まで勉強が進まずに、苦手科目のままセンター試験を受けるのか、そう出ないかは、志望校を決める際に決定的なものになっていくこともあるだろう。国語力が多方面に大きな影響を持っていることを踏まえると、この力は、中堅校どまりなのか、上位校を受けられるのかを分ける決定的なファクターであると言っていいと思う。

数学屋の私からすると、国語力があるかどうかというのは、数学の問題を解く際にも影響がかなりある。問題文をきちんと読み取る力、記述式の問題で内容を的確に書き上げる文章表現力など、少し考えればいくらでも出てくる。

どうしても、国語力は「日本人だから」というくくりの中で、対策されないで受験しがちであるが、国語の良し・悪しはそれまでの本人の年輪の問題も関わってくるだけに、大きな問題になってくるのだと思う。大きなくくりでいうならば、「人間力」そのものと言っていいかもしれない。

国語力の「ある」「なし」の大きなところを握っているのかは、きちんとした言葉の意味を知っているかどうか、それを的確に使っているかどうかだ。日常からそれを心がけることで、幅広い教養を身につけ、ぜひともバランスの良い人間になることを幼少の頃から身につけさせたいものである。それが一番の早道の気がする。

本当に国語ができる人間は、「国語の勉強はしたことがない」のひとことで終わってしまう。多分、そういう人には「わからないことがわからない」状態なのだろう。センター試験の国語で9割をとるような人たちはそういう人たちであることが多い。

高校生でそれまでの素地がない人はどうすればいいのか?

多分、粘り強く、言葉の意味を調べて、それを自分のものにするという地道な作業をしないと厳しいだろうな。時間がかかるだけに、結構きついし、国語ができない人は「なぜできないのか」という根本的な分析ができていない場合が多いので、そこに気がつける時期が遅いことと、人間力までいくと一朝一夕ではなかなかいかないということでの限界はある。

番外編


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数学基礎から数学活用へ [教科(数学)指導者として]

数学基礎という科目が、今の2,3年生に対するカリキュラムとして存在する。勤務校では、約200人の生徒が、それを学ぶようになっている。

【現カリキュラムの教科書】
image-20120518071310.png

ところが、世間一般での教科書の売り上げが悪く、次のカリキュラムであるところの数学活用では、この教科書がいくつかの出版社で作らなくなることが判明した。全部確認したわけではないが、大手は撤退するようだ。

数学基礎の教科書では、身近な題材を用いて数学を学ぶと言うことで幅広い内容を学ぶものになっている。ところが、生徒からの受けが悪く、頼むから普通の教科書で勉強させてもらいたいという要望が生徒会の意見・要望書でつくくらいだ。

それはなぜか。

身近にある数学的な思考で考えられるものというのは深い世界であり、日常、そのことを考え抜くことに意味を見いださなくても生きていくことができる人たちにとって、あまり興味がわかない。もしも、このことに興味が沸くような生徒がいるとしたら、それは本当に勉強ができる生徒である可能性が高い。

もう一つは、指導者も含めて、小学校から中学校までで、このような学習スタイルになれておらず、戸惑う部分が多いこと。勉強を暗記ととらえている生徒にとっては、この方が安易であり、実は負担が少ないということなのだろうな、と思う。

たぶん、数学基礎は、基礎になっていない。だからこのようなことが起こってしまっているのだと思う。


次のカリキュラムでは数学活用の教科書がないとなれば、さすがに教えられる余力はないかもしれない・・・。

続きを読む


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教科書を教員が指導するための指導書 [教科(数学)指導者として]

新しいカリキュラムが始まって、新しい教科書を進めている。

教科書が変わると、その解答がわからなくなったり、解説の仕方が分からなくなったりすることがあるので、指導書を買う。

お金がないので指導書も人数分というわけにもいかない。仕方がなく、精選して購入することにした。

今回のカリキュラムから、教科書にデジタル版ができた。世の中の流れである。

その教科書の名前が「デジタル指導書」というものだったのだ。指導書だと思って買ってみると、紙ベースの指導書のデジタル版ではなく、思いっきり教科書のデジタル版であった。

これは紛らわしすぎる。


そんなことで、今年度は、本校数学科では、指導書はなしになってしまった・・・。

教科書の難易度を落としたので、解答を間違えることはないだろうが、教員が答えを確認する手段がなくなってしまった。

来年度は購入することになろうが、指導書をどう活用するのかも、教員によってさまざまなので、使わない先生もいるだろうし、使う先生もいるだろうし。見れば奥深いことは書いてあるが、残念ながら、それを見る時間はないのが私の現実である。一度じっくり読みたいという気持ちはあるのだが。
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4STEPをやるべきか、やらざるべきか [教科(数学)指導者として]

新しいカリキュラムがスタートするわけだが、4STEPを制覇するべきかどうか迷っている。

制覇しておいて、例の悲しい解答・解説を補うか、それは各自に任せるか、という話だ。

改訂版が出たとしても、4STEPの内容が大きく変更するわけでもあるまい。


膨大な時間がかかるだけに、少し迷うのであった。
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教師用の指導書 [教科(数学)指導者として]

新しいカリキュラムが始まるのに、指導書を買うことになった。

指導書は、なかなか高価なもので、10000円以上するものもある。

ところが、見る機会が少ない人も多い。


勉強になる内容も多々あるのだが、それをじっくりと読み込む時間もない。でも、きちんと読み込めば、大変参考になるはずであるが・・・。


生徒にとって、教科書ガイドの解答よりははるかに当てになると思われるので、教科書の解答はコピーして渡すことにしている。

勤務校ではシラバスを生徒に配布しているので、そのための配当時間を調べるのが最大の役目になっている。
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難易度の固定化は教材研究を容易にする [教科(数学)指導者として]

教える生徒の難易度が、勤務してからずっと不安定だった。

幅が広いという意味で、どんな教材ももっていなければならず、それが苦しかったりしたが、そろそろ、そういう様子でもなくなってきたようなので、易しめの教材は片付けることにした。

難しい教材を教えると言うことは、こちらにも思考力が必要なわけだから、腰を据えて考えなければならないことが増える。

腰を据えて教材研究をしなければならないということを職場は理解してくれるのかどうか。少なくとも、勤務校に赴任した最初の年に、「スタンダード」という問題集を解いていたら、ずいぶん怒られたことを覚えている。

時代が変わり、高いレベルの層が入ってくれば、それなりの教材研究が求められるが、そのための時間の保証がされてくれないと困る。

教材が全部異なるとなれば、こちらもある程度のシフトをしかなければならない。さてどうしようかな・・・。


新しいカリキュラムもいよいよ始まる。

さて、新年度、どんなドラマが始まるのか。

筋書きのないドラマがまたスタートした。
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高校数学のカリキュラム改訂が近い [教科(数学)指導者として]

いよいよ約10年に一度のカリキュラムの改訂の時期を迎えることになる。

内容・教科書も一新して、新しいカリキュラムに対応すべく学びを深めることになる。

数学科の教員は、歴史が変わっても、新しいことを学ぶと言うことは少ない。学びを追求するということの中では、シンプルな世界である。そこが好きで数学を選んだ私の選択は正しかったように思う。言葉は生き物だから絶えず変化するし、現象から導き出す学問は、理論が変化すると内容が変化しうるが、そのような学問とは一線を画している。

あるのは入試の流行・廃れぐらいなものであろう。


したがって、1つの指導法を確立すれば、その指導法を生徒に合う形で実践すれば事足りるわけである。

新しいカリキュラムでの指導法についてのスタイルを確立すべく、新しい取り組みをどうしていこうかと練っているところである。

指導する生徒の層は変化したが、変える必要がないものはそれでいいし、変えるべきものをどう変えていくかを練っていきさえすればよい。


10年分の構想を考え、後はその流れにしたがうだけで良いように指導の体系を完成させられれば、後々楽になる。そういう発想にもう少し早く気がつけば良かった・・・。
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模擬試験の過去問うち [教科(数学)指導者として]

模擬試験の過去問をするという文化は私の中にはなかった。

このことについては賛否両論があるだろうが、1つの方法として有効であることはわかった。

強いモチベーションがある人であれば、模擬試験はあくまでも「模擬」なのだから流して、本番に狙いを定めることで問題はないように思う。

他校の先生と話をすると、何校かの先生は過去問を行うことに意義を見いだしているようだった。自分の知らない世界が広がった、ということなのだろう。

勤務校は、このことに躍起になっているので、その対策を可能なときには教育プログラムとして取り入れなければならない。

ということで、模擬試験の過去問をある程度データベース化することにした。空いている時間に少しずつデータ化することにしている。


数式は打つのが大変だ。やはりTeXがよいのだろうが・・・。

なんだかんだで、やりたいことをとことんするためには時間が必要である。必然的に自分の時間が削られる。時間はどんどん浪費されていく・・・正直、ここまでとことんする人はこの世の中にどれだけいるのか謎だ。知り合いの公立の先生にはあきれられることが多い。「真面目すぎる」と言われる。

確かにその通り。

おまけ


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センター試験数学と数学Ⅲの関係 [教科(数学)指導者として]

センター試験を受験するために数学Ⅲは必要がないのだろうか。

結論から言うと、科目的には必要はないが、より幅が広い理解を持ってその科目を受けた方が圧倒的に優位に立てる。

特に、今はカリキュラムの後半であるから、言ってみれば「亜流」の問題が数問出される可能性が高い。センター試験問題集にあるような典型問題だけを解いていても、その亜流の問題を解くことができるかどうかははなはだ疑問だ。


数学Ⅲは、数学の抽象化が進み、具体性が欠けるだけに難しいことも多いが、それだけ守備範囲が広い問題を扱うので、きちんとやれば、特に数学ⅡBの点数が上昇する可能性が高くなるだろう。別に数学Ⅲを学んだ結果を使って悪いと言うことはない。使えることに気がついたら、大いに使って、良い結果を残せるようにしておくことで数学ⅠAⅡBで圧倒的に優位に立てることは間違いないのだ。


数学ⅠAⅡBで学んだ生徒には数学Ⅲの奥深さはなかなか見えてはこない。数学Ⅲの世界にある程度浸からないと見えない世界が見えたとき、数学ⅡBで学ぶ世界がより明確になり、センター試験の高得点に確実に繋がるはずだ。
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相加平均・相乗平均の大小関係について [教科(数学)指導者として]

数学の話題で少し気になることを書こうと思う。

相加平均・相乗平均の大小関係は
a≧0,b≧0のとき
 (a+b)/2≧√ab
であるが、
教科書によっては、
条件の部分が
「a>0,b>0のとき」
となっている。

受験生にとっては、このへんの考え方が少しわかりにくいようである。
例えば、
「a>0のとき a+1/a≧2 を証明せよ」
とあった場合に、困ってしまう受験生もいるようである。「a≧0ではないのか?」ということだ。
ここでは、a=0となってしまえば、1/aの話が成り立たなくなるので、a≧0と問題設定としてできないわけだが、そのときにこの不等式を使って良いものなのかどうか・・・ということである。

あくまでも、相加・相乗平均の大小関係は、「a≧0」というのは、「a>0」または「a=0」ということなので、そのいずれの場合でも成り立つわけだから、a>0のときのみに使っても問題はない。このへんの不等号の使い方に関しては、非常に曖昧にしている受験生は多い。だから、教科書も条件のところを「a≧0,b≧0」と書けず、一歩踏み込んだ条件で書かざるを得ないのだろう。


このブログで数学の話題を初めてまともにした気がする・・・今度から気が向いたら書くことにしたい。
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新課程用問題集の選定が近い [教科(数学)指導者として]

新課程用の教科書に続いて、問題集の選定の時期が近づいている。新しい問題集もそれに併せて次々と完成し、見本の問題集が送られてくる。

基本的には教科書とセットで傍用問題集を持たせることが多いとは思うが、ときどき教科書とは別の問題集ということもあるようである。

一度教科書が確定すると、改訂版が出るまではなかなか変更しないはずなので、教科書会社(の営業の方)は勝負どころである。

バランス良く教科書や問題集は配置する方が本当はよいのだろうが、一度使い勝手を知ればその流れですると指導者側の負担が軽くなるという意味で、変更するのは難しいな。でも、いろいろな会社のものを買っておけば、いろいろなチャンネルでの情報を得られることとか、視点が広がるので良いのだが。それはいるメンバーによるのだろう。

ただ、逆に、毎年のように教材を変更する教科がある。その教科の先生は、常に教材研究のことで頭がいっぱいのようである。置かれている状況で判断したいところだ。
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模擬試験対策をしていて思うこと [教科(数学)指導者として]

今日は、模擬試験が実施されている。北海道の高1,2年生は圧倒的にベネッセの模擬試験を受ける学校が多い。

全国で40万人から50万人受けているというのだから、学年の総数の半分近くは受けていることになる。結構な数である。

模擬試験の対策をするのが良いのか悪いのかわからないが、お金をかけているという観点からすれば、そのために勉強をするのも良いのかもしれないなあ、と思うようになった。良いと思うのは、忘れた頃に復習することを繰り返すと定着するという理由からである。

私は高校時代、模擬試験のために勉強をしたことは一度もない。させられたこともない。定期試験と大学受験ための勉強以外は眼中にはなかった。したがって、させていて違和感があったが、最近はそれもすっかりなくなった。自分で言うのもなんだが、自分で自分の時間をきちんと管理できて、何をいつまでにどこまでするということに関しては結構細かいし、こだわりがあるタイプなので、他人に言われずに自分のペースで行っていた。でも、それができないような人たちはいるはずなので、そのような人たちにとっては良い小目標になるだろう。


模擬試験の最大の受験させる理由は、自分の全国的な位置づけを確認することと、学習のための動機付けなのだと思うが、単に受けさせてもお金がもったいない。そのようなコンセプトを理解した上で、事前に対策をするのは悪くないものだ。
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数学Ⅲに突入する [教科(数学)指導者として]

数学Ⅲに突入した。中高一貫校だったらもう少し早くいけるのだろうが・・・。

数学ⅠAⅡBが2年生の終わりまで行われるのと、ハイペースでどんどん進んでいくのとどちらが良いのか・・・。

2つの宇宙で実験するわけにもいかないので、比較のしようがないのだが。


数学Ⅲを学んでいくと、これまでの復習になるから、振り返ったらいろいろなことが理解できるようになるということは良くあることだ。細かいところも粘り強く勉強していくことが大切だ。


ある意味、数学Ⅲは数学の醍醐味を学ぶことができる内容が盛りだくさんと言える。「きっちり」学んで大学受験に備えられると良いのだが。
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ある数学の先生からの助言 [教科(数学)指導者として]

知り合いの数学の先生からこんな話をうかがった。

数学Ⅲになって、その先生が担当になったクラスがあって、そこで学ぶ内容はきっちり学ばせたと言うことだが、残念ながら、そこでの分野はきっちりと学ばせたとしても、その前の分野ができていないことでそれ以上先に進めないと言う。数学Ⅱの対数あたりとか、三角関数あたりの内容は顕著だろうな。

先の分野ができるようになったとしても、その手前の分野があやふやで先に進めないと言うことがあれば、それは不幸だ。

そこからはい上がるために、以前の内容を学ぶセンスがほしいとも言えるが、以前の内容をきちんと入れることは積み上げが必要な科目はとりわけ重要だ。

数学Ⅲに入っていく私のクラスの行く末はいかに・・・穴が少なければちょっとした復習で埋まるが・・・大きいと埋めようがなくなってしまうかもしれない。
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平面図形の単元に強い生徒は [教科(数学)指導者として]

相似の図形をすぐ見つけられる生徒だ。


相似の三角形は恐るべしだ。いろいろな定理につながっていく。合同は比較的見えやすいが、相似は案外見えくにい生徒には見えにくい。

できる生徒はそこを瞬殺で見つけられる。中学生はそこを意識して学ぶと良いな。

高校1年生の平面図形を指導していると、そこが見えるか見えないかで大きく差がつくことがわかる。中学校の復習的な要素が大きいので、ここで挽回するというのも1つの方法だ。
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日本人の幾何的な力は確実に落ちている [教科(数学)指導者として]

数学をきちんと教えようと思っている先生はみんな思っていることだと思うが、日本人の幾何的な力は確実に落ちている。

生徒の学力低下とはまた違った方向からそれを指摘しておく。

最大の理由はカリキュラムがかつて幾何重視であったが、それが失われたのが大きい。結果、教員側の幾何的な力が落ちている。ある年代以上とある年代以下の幾何的な力の違いというのは決定的だと思う。そして、その力が落ちた先生から学ぶ生徒の力がつくとは到底思えない。その連鎖が着々と進行しているはずだ。


「教育は100年の計」というが、この教育の果てに、よその国と比較して大きな知的な損失がどこかで出てくるに違いない。

現代風に言えば、「3Dの映像の開発が幾何的なセンスがある連中が少ないので遅れた」とか・・・ありそうな話だと思わないか?


それだけ言うのは簡単なので、それではどうしたものかといわれると、もう少し立体と触れ合う授業の必要性は感じる。立体が特に弱い。立体のゲームは発達しているが、イメージがわかないようだ。
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国語・数学・英語の教員はテスト作成が多い! [教科(数学)指導者として]

部活動つながりで、他校の先生と話をすることが多い。いい刺激になってよろしい。

進学校の先生が必ずいうことは、「国語・数学・英語の先生は1年中テストを作っているわ」とのこと。確かにその通りだ。1年中テストを作っている。カリキュラムの変わり目ということもあるので、来年以降使い回しができる可能性は低い。

今週は、1週間で8本から10本を作らねばならない状況になっている。


ということで夜な夜な、あるいは早朝からテスト問題を作るというのが私の仕事になっている。昔から結構やってはいるが、残念ながら、体力が削られてきているので、少しずつしんどくなってきている。ノートパソコンにインストールしないと厳しいかもしれない・・・そうすれば、寮で生徒の勉強を監視しながら、あるいは喫茶店で気晴らししながらできる。そうでないと精神的にもしんどい。

同じ授業を複数個もっていれば起こりえない話なのだが、残念ながら、同じ授業が1つもない。意地になってやるから、こういうクラスの担当から外れないというのもなんとも皮肉なものである。なんだってそうだな。仕事は特定の人間に集まるようになっている。意地がある人の所に仕事は集まり、ない人の所には集まってくることはない。(ただ、不平不満を言いながら仕事をしている人は恰好が悪いことにいろいろな人を見て最近気が付いたので、あまりそういうことがないように心がけている。)

ただ、数学はまだいい。国語・英語の先生は、「本文」というのがあるのでまさしく「吐きそう」だろうが・・・。


ありがたいのは、仕事上の「意地」を持っている人が(恐らく)うちの学校は他校よりもかなり多い、ということだ。だから少し気がまぎれる。退勤時間ちょうどに門を出るような人はいない・・・という人間が組合の幹部を言っていていいのだろうか・・・見本になるようなことはできない。水曜日の午前中の休みをきちんととることだけは、「いざ」というときに職場の人が休みやすくするために努めてはいるが。別の場所でしているのは仕事なのでそれ以上の意味はない。自分で言うのもなんだが、かなり「意地」偏差値が高いのでそんなことばかりでテスト問題作成は続いているのだ。生徒には止めるようにいつも言われている。体調悪くなるから。
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受験生諸君、朝ごはんはきちんと食べよう。 [教科(数学)指導者として]

ビデオ撮影が終了した。今回は朝っぱらから撮影を敢行した。結果、朝ごはんを食べずに話をすると、やはり問題解答のパフォーマンスが異常に落ちることがわかった。

正確に問題を解くためには相当な集中力を出さなければ間違えてしまう。公判はご飯を食べてからすることにしたところ、かなり集中力が増し、ミスが激減した。

今年の目標として「3食をきちんと食べる」というのがあったが、この大切さを身をもって理解した。

反省して夏休み明けはきちんとご飯を食べることにしよう。ご飯を食べないくらいでこれほど力が落ちるとは思わなかった。まさしく人体実験であった。
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センター試験の問題は1問あたり2度図を書く [教科(数学)指導者として]

表題のタイトルのような指導をされる先生がいるそうだ。

確かに、そのことを自覚してみると、その可能性は高いかもしれない。

大きい問題の(1)(2)あたりで図を書き、(3)あたりでもう少し大きく書き直すなど・・・。

数学Ⅰの三角比や数学Ⅱの微分・積分、数学Bのベクトルあたりではその可能性がある。

指導者の方々で図形を用いる問題を解いているときに2回書き直すかどうかを意識して問題を解いてもらい、その報告を上げてもらえると嬉しい。

このことを知るメリットは、解答を書くときのスペースの使い方が一番大きいかもしれない。図を2個書くのであればそれなりのスペースの使い方や計算の仕方をするのではないかという意味で。


私自身、夏休みに取り組んだセンター試験の問題解説でも、2度書きなおしたケースが多々あった。
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解説授業のビデオ撮影の季節・第2シリーズが始まる [教科(数学)指導者として]

ビデオにして教材を残す・・・ノルマ100題を掲げて、春休みに46題をさばいたことは、以前書いた通り。

その季節がまたやってきた。夏休みにまもなく突入する。

限りなく自己満足の境地にいる気がするが、とりあえず突貫工事しておこう。自分の勉強にもなるし・・・。

・・・ということで、夏休みが始まったら、次は数学Ⅱの38題分に取り組むことにしている。


センター試験の特徴を学ぶということもできるし、ビデオで自分の教え方を振り返るのもあるのでまあいいか。

pogoplugについては順調に動いているようだし、ほかのことにも使えることがわかったし、なかなか面白い。

さて、生徒と日程を話し合いながら、ビデオをまたこつこつ撮っていくことにしようか・・・。
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試験範囲が狭い場合の試験をどう作成するか(非進学校編) [教科(数学)指導者として]

試験期間が終了した。試験の最中には、仕事を持ち込むことは許されないので、監督に専念するのだが、生徒が熱心に取り組んでいるときには、どうしても人間ウオッチングをしてしまう。あくまでも「脳内」の話ではあるが。

その人間ウオッチングで常に考える中の1つを披露したい。

試験が易しいと生徒たちはやるだけやって寝てしまう。これは、一生懸命頑張った生徒にしても、試験監督にしても不幸だ。場合によっては、試験が妥当だったのかという物議にもなる。試験監督をしたら起こさないといけないこともあるだろうし。

また、出題する側はおそらく、試験の監督の先生に「何こんな生徒の力をまともに判断できそうにない変な問題出しているんだ」と陰で批判されることにもなりかねない。10分でできて寝てしまうような問題を出すのは、他に仕事ができない監督側からすれば、試験問題をつぶさに見ることができる時間ともなる。問題の良し・悪しが批判になって当然である。これは、その先生の評価に関わることである。試験作成をなめている教員はいないとは思うが、そういうところでの評価というのは、その人の教科指導力を生徒や試験監督に強いメッセージを発しているに他ならない。


・・・ということで、こういう試験を回避するための方法を考えてみた。


結論から言えば、配点の低い難易度が低い問題を大量に出すということである。同じ種類の問題と言っても、試験中に解かなければ、点数は上がらない。生徒はその場ではやるしかない。よって生徒は寝ることができない。同種の問題が大量にあれば、たまたまケアレスミスをしたとしても、他の問題では点数を取る可能性があるので、やり方を間違えて記憶していなければ、こちらの意図する平均点に落ち着く可能性が高まる。問題がたくさんあることでどこかでケアレスミスをするだろうから、満点を取られる可能性もずいぶん低くなる。


と言うことで、基本問題に関しては、易しい問題をたんまり出すことを勧めたい。


考えてみてほしい。2次方程式の解の公式の問題を5パターンで6点配点の問題を1題ずつ出題するところを5パターンで3題ずつ2点配点とし15題出せば、暇になることはない。試験の教室には恐ろしい量のカリカリカリカリという音が響き、異様に活気のある教室になるはず・・・である。


生徒ができなければもちろん暇なのはこれまでと変わりはない・・・。そこも含めて的確に判断できるに違いない。
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字が汚い生徒に数学ができる生徒はいない [教科(数学)指導者として]

字が汚い生徒は、学習習慣が付いていない。そんなことは字を読めば一目瞭然である。

「綺麗に書け」といっているのではない。「丁寧に書け」といっているのである。

結局、見ている(採点している)人間を意識できるかできないかということにもつながっている。

自己満足的な解答を書いたところで、相手がどう思うかどうかは他人の勝手というのでは、独善的すぎる。


そういう意味でも、丁寧な解答を書けない人間は、残念ながら成績は上がりそうにない。

ただ、センター試験の勉強をするとどうしても字が汚くなりがちになる。自分がわかればそれでいいということになってしまう。だから、国公立大学2次試験がある生徒には、センター対策ばかりするのはあまり勧められない。センター試験対策といっても、自分でも読めない字を書くようになれば、自分で解けた問題の確認ができないのでアウトだ。時間が余ったときの確認ができなくなる。できる生徒に限って、このへんの手を抜いて、確認ができない人間になるので要注意だ。試験を時間を計って解くような練習の場合には、確かめの時間も1つのパッケージと見なして、練習をしておかないといけないのだ。
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数学の答案に見る言語化の意義 [教科(数学)指導者として]

数学の答案をつけていると、最近の子たちは、文章を書かないでいきなり計算をするケースが少なくない。

「判別式をDとすると、D>0より・・・」
「(左辺)>0、(右辺)>0より、相加相乗平均の大小関係を用いて・・・」
など、いえばわかりやすいのに、いきなり式が出てくる。脈絡がないから、こちらが解読しなければならない。

疲れていたら、良心的な採点にはならず、採点は斜線になってしまうわけだ。

それはそうと、自分のやっている事柄を表現できないというのは、非常にまずいわけだ。

自分のやっている計算の理由や過程を取り巻く条件をきちんと的確に表現できない人は、結局なかなか伸びていっていない気がする。なんだかんだいって、きちんとかけている人は、やっている意味がわかっているのでしっかりと身に付いていっている。

この差は大きいな・・・。ここ数日、採点三昧だった私の1つの結論である。

自分の頭の中を整理するという意味も含めて、表現できるって重要だな。
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新カリが始まるということは、旧カリ受験生は浪人すると不利になるかもしれない件 [教科(数学)指導者として]

高校の新しいカリキュラムが来年度から始まる。

ということなので、新しい教科書が出ることになる。今日はとある出版社からその見本を見せてもらった。

大学受験という観点からすると、一体どんな問題が出るものかと言うことを考えなければならないが、実際に出されないと傾向は見えない。教科書会社も模索する感じになるわけだ。なので作る側は大変だな。それがある程度見えてきた当たりで教科書が改訂になり、次のカリキュラムに進むわけだ。学習内容も変わる。ということは入試問題の範囲もその影響を受ける。数学Ⅰの統計、数学Aの整数、数学ⅢCを数学Ⅲに一本化や複素数平面の復活など、マイナーチェンジとは言えない内容が含まれている。

今回の教科書で何を選ぶのか、それも1つの教科教育の方向性を決めることなので、なかなか大切である。そして、それを大学側も入試問題を作成する上で大いに参考にするわけである。

授業をしながら思ったが、今の高校1年生は、最後のカリキュラム学年となるわけで、浪人しにくい学年となる。浪人すると次のカリキュラム世代と争うのはあまり得策ではない。そっちの方が受験者数として多くなったら、大学だって新しいカリキュラムの人たちを想定した問題になるのだから。当然、高校2年生は、二浪したらそういう話になるわけで・・・。

ある程度このカリキュラムの指導の仕方としては完成的な状況にあるのだろうけれども、そうなったらなったで問題は山積みだ。

さて、そこで判断が求められることになるわけだが、今、高校生の人たちは長期戦(何浪かしてでも)で頑張ろうとするのはあまり得策ではないな。

今の受験生はどうするか・・・もちろん、現在中学3年生になる世代にとっても、どういう問題が入試で出るのか得体が知れないだけに受けにくい受験になるのだが・・・。
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